UCアメリカ副会長 『基元節を迎えるにあたって』

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UC-FAMILYに
バルコム米副会長のアメリカ統一教会員に向けた手紙が掲載されていました

michael balcomb
2013年1月5日

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

皆様と皆様の家族にとって、良き新年と実り豊かな2013年となりますように。
今年は素晴らしい年になると強く確信しています。
私、個人的には2012年が終わって大変うれしく思っていることを告白しなければなりません。私たちの運動に対して内外ともに、さまざまな出来事があり、核心まで揺るがすような事件が多く起こりました。愛する真のお父様の聖和は、何より予期せぬ衝撃的な出来事でありました。しかし同時に、われわれの会長辞任の衝撃にも対処しなければなりませんでした。国家としては、クリスマスの直前に、罪のない子供たちが教室の中で銃撃を受けて命を落とすという悲惨な事件を見なければなりませんでした。
明らかに、神の理想平和社会に至るまで残された道はまだかなりあると言わざるをえません。 しかし新年2013年を迎えた私たちは前を向いて、心も気持ちも神さまと真の御父母様にむけてきりかえて基元節をむかえて、さらに進んでゆく準備をしなければなりません。 十分に理解していない所もありますが、基元節は真の御父母様の生涯をかけた
み業の完成を意味します。お父様はこの12年間、くり返しそれを語ってこられました。今日、その日まで40日あまりを残すところに来ました。

基元節に向けての準備
国内を回っておりますと、基元節を迎えるためにどんな準備をするのが最も良いか、という真剣で熱心な質問を多くの教会員から受けました。基元節を迎えるにあたっての人びとの思いは極めて真剣なものから、ほとんど無関心なものまで幅は広くほとんどの人はその間にあるといえます。
たしかに韓国から送られてきた必要な供え物と条件のリストは皆さん目にされたことでしょう。そのうちのいくつかは変更され修正を受けたりして、少々混乱を来たしました。

かなり多くの人は極めて真剣にこう質問します。『もう、遅いですか。すべての条件をもし立てることができなければ、失格者になりますか。』『もし、夫、子供、家族あるいは氏族が関心を示さなければ、どうすればよいでしょうか。』

これらの事柄に関して少し意見を述べさせてもらいます。
私のこれまで、そして今ももつ強い確信は、神様は御自身の恩恵に同参するよう
すべての人を招いておられるということです。もちろんこれはいつも真実です。
神さまは愛なる父であり、最初から私たちと別れることを望んではおられません。
参加をさえぎる仕切りを設けることなど望まれないし、またそのおつもりもないでしょう。

しかし神さまと私たちを隔てるものは確かに存在していることも事実です。それはサタンによって、また私たち自らの手でつくられたものです。

原理講論における最も重要な発見と宣言のひとつは、人間は満たすべき責任分担をもっているというものです。原理では、神さまの95%に比べてわずか5%と言います。

またわれわれの5%は実際100%の努力を意味することも学びました。これは真実です。
それでも僅か5%なのです。神様の95%、すなわち、圧倒的な愛と力と赦しと恩恵がなければ、われわれが為せと命じられることはあまりに困難で、大きすぎるものに思える事でしょう。聖句にありますように、『人には不可能にみえても、神にはすべてが可能である』。

私たちは信仰基台についてはよく学びました。そこでは中心人物、私と条件物と期間が必要とされます。歴史上多くの人々は信仰基台を立てることに成功しました。しかしより重要な実体基台、すなわち真の愛となると、立て得た人はあまりに少ないのです。

基元節の恩恵のために、御心にかなった準備をすることは非常に重要なことだと私自身、確信しています。問題は『何が本当に、御心にかなった準備なのか』ということです。この時に神さまはわれわれに何を望まれなにを求めておられるのかということです。

ここで皆さんに私が大好きな聖句を紹介したいと思います。詩篇51章から。
これはダビデ王の祈りとして非常に有名なものです。
ダビデが、人妻のベテシバと姦淫を犯し、夫で忠実な兵士であるウリヤを、死が確実な
戦場に送るという、真に恐ろしい罪を犯します。そして預言者ナタンと対面したのち、一週間の祈りを捧げるというものです。

神さまはダビデを許すことができました、この不倫の実がメシアの先祖となる所まで許しは大きかったのでした。しかし私はダビデがこのとき真実に神さまの前で悔い改めて、心を神に向けて入れ替えなければ、この許しはありえなかったものと確信しています。

詩篇51章

神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、
正しい霊を与えてください。
わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
…主よ、わたしのくちびるを開いてください。
わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。
あなたはいけにえを好まれません。
たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。
神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。

ここでいう『砕けた悔いた心』は文字通り破壊されたということではなく、謙遜な
清められた、悔い改めて新たにされた、という意味です。いいかえれば、基元節の日に
もっとも大事なことは― どの日でもそうですが―私たち自身の内から変わることです。

もちろん私は条件物を軽んずるものではありません。原理講論でもその重要性を教えています。ですが、もっと重要なものが、実体的供え物だということです。それによって心が、そして神さま、真の御父母様またその他の人との関係が真に変えられると言えましょう。

これは個人の責任です。それが家庭、社会、教会、そして国家のものとなります。わたしたちは原理的な生活を送らねばなりません。

ミカ書6:8に
主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むこと、これである。

 
とあります。

条件を満たす

ここで少し世界宣教局から推奨された一連の条件についてみてみましょう。アメリカ教会としてこれらすべての条件の内容を皆さんにお知らせし、祈りをもってそれぞれにとって最善の供え物を判断して下さるように勧めることは適切なことでしょう。

条件の内、献金は今すぐにでもできる比較的単純なものと言えます。献金額は当初いまの10倍ないし100倍でしたが、いまは極めて落ち着いた額だといえましょう。ですからすべての皆様が感謝の心を持って供えることをお勧めします。

そのほか訓読会、敬拝のような精誠条件は日々の積み重ねが必要であり…数カ月は必要でしょう。日々神さまとつながるための時間を取ることは非常に重要なことだと私は思います。もしまだ、という方は、今から始めて下さい。もしすべてできないならば何かを始めましょう。
お父様の自叙伝を配る、12家庭に証をする、先祖、氏族を復帰する、といった条件は長期にわたる継続した努力が必要です。実際、基元節以降も続く内容です。
ここでも、すべて無理ならばやれることから、最善をつくして行いましょう。もちろん
皆さんの家族全員が基元節のための条件をたてることに参加することがベストですが、
絶対必要というわけではありません。あなたが中心人物です。

真のご父母様の特別な恩恵

ここで基元節に先立っておこなわれる聖酒式とそれを通じて真のご父母様から賜る特別な恩恵について少しお話したいと思います。韓国から非常に詳細な指示がとどいていますので皆様もそれを注意深く読んでください。もちろん聖酒式は初めてのものではありません。しかし、『またか。』と思わず『ふたたび機会を与えて下さり感謝申し上げます。』という姿勢でむかえることを願います。この特別恩恵の儀式は神の国入籍のガイダンスの上になりたつもので、これはお父様が2001年神さまの王権戴冠を宣言されたときにさかのぼり、この時から基元節の話を始められました。このときの指示として公金の管理に厳格であるように、また性愛の過ちや心情蹂躙への戒めが含まれます。

この恩恵は皆にくだされます。どれほど大きく極悪で悲惨な罪であっても許されない罪はありません。恩恵を願い赦しを請う者はしりぞけられることはないでしょう。
同時にいかにささいで、つまらない罪も悔い改めなくてもよいもはありません。これもまた重要です。

この機会を軽く受け止めてはいけません。マタイ19章の婚礼のたとえを想起すべきです。宴席は整いごちそうが用意されたのに招待された客は無関心でした。そこで王―神さま―は僕に道あるく人だれでも宴席に呼び集めさせた。

正直言うと最初この悔い改めなければならない罪のリストを見たとき、表面的に見ただけでした。こう思ったのです。『わたしは姦淫もしていないし祝福も壊していない。背信もしていない…等々』しかし神さまはすぐにこれは間違った考え方であるとしめしてくださいました。私は英国国教会の伝統のなかで育ちました。ほとんど教会には行かなかったのですが、行く時はいつも使徒信条の朗読がありました。このなかでは作為の罪―犯してならない事と不作為の罪―しなければならない事をしなかった罪をはっきりと区別していました。真のお父様は晩年この不作為の罪をもっとも悲しまれました。お母様もこのことについて最近語られました。その罪のリストは長いのです。わたしたちは三大祝福を完成していません、氏族を復帰していません、自分の家族すらできていません。私たちの多くは信仰を愛する子供たち、二世につたえられていないのです。アメリカを真の長子国家にできていません。統一原理を教えきれていません。真のご父母様の来臨のしらせを情熱と精誠をもって証できていません。誇りとなる教会を建設できていません。教会員の数は国内でも無視されるほどに少ないのです。父母様とともに歩むようにと召命された神さまの大きな期待と希望とをおもうとき、率直に大きな負債を感じるとともに申しわけないのです。

雅歌1:6の詩作者がいうように
ぶどう畑の見張りをさせられたのです。自分の畑は見張りもできないで。

この内なる現実をまのあたりに私は飢え、恐怖、落胆、疲労に締め付けられるのです。

基元節の真の意味

わたしにとって基元節はそれらの抑圧からの解放を意味します。
ではいかにそれが可能でしょうか。

このあいだイーストガーデンで水曜の礼拝を文亨進、イ・ヨナ会長ご夫妻を主礼にとりおこないました。そこでクリス・トムリン改作のアメイジング・グレースをくり返し何度も歌ったのですがそれがわたしの心につきささりました。

〝My chain are gone, I’ve been set free;
My Savior God has ransomed me.
And like a flood His mercy reigns.
Unending love, Amazing Grace.”

わがくびきははずされ、自由になった。
わが救い主、神はとりもどしてくださった。
洪水のように愛はみちて。
尽きぬ愛、かぎりなき恩寵。

わたしはこれこそ基元節の真の意味であり、もとめられるすべての同参条件の真の意味であると思います。神さまは飢え、恐怖、失敗のくびきを取り除き、神さまと真のご父母様の神聖な臨在のもと、あたらしいエデン、あたらしい始まりに招いて下さるのです。

もちろんこれで終わるわけではありません。天国建設の旅は基元節後もつづきます。
すでにお母様はお父様の生誕100年を迎える2020年までに復帰を完結させる
計画〝プロジェクト20―20“について言及されました。
神さまはこの旅をともにする新たな決意と純粋な心をもった信仰の息子・娘をさがしておられます。

基元節登録

われわれは基元節のウェブサイトを開設しましたfoundationday.unification.org。
ここには行われる行事やスケジュールなどの情報を掲載します。また聖酒式および祝福式参加の申請書ものせています。この情報を注意深くしらべて登録をすすめてください。
韓国行きを決めた人のためには国内移動などで便宜を図るシステムをつくりました。
アメリカ教会として基元節参加動員の具体的な人数は設定されていません。
清平の会場はおそらく限られた人数に制限されるでしょう。アメリカ国内の区域、地区レベルですべての人が参加できる式典を執り行います。基元節にかんするすべての実践的、物流の事柄はここアメリカで区域、地区責任者およびオンライン登録をとおして行います。

神さまの祝福がみなさまとみなさまの家族にありますように。

Dr.マイケル・バルコム
副会長

*これは私訳であり公式な訳文ではありません。
原文はこちらから(パスワード必要です)

 


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