ルターと福音主義 Part4

キリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに新しい記事が掲載されていたのでご紹介します。

今回はドイツ人神学教授、そして宗教改革の創始者マルティン・ルター(Martin Luther, 1483.11.10 – 1546.2.18)の「ルターと福音主義」の連載第4回目です。

どうぞご覧下さい。

下記はサイトより一部引用です。

                         

Gm_1570 0001(五)「恩恵と自由意志」(自由意志論争)

 

1517年10月31日、ヴィッテンベルク城教会の扉に、ルターによってラテン語で「贖宥の効力についての九十五ヵ条の堤題(テーゼ)」が貼りつけられた。学者たちが討論するためにテーゼをラテン語で公表するのは、中世以来の慣行であった。

このラテン語の「堤題」は、ただちにドイツ語に訳され、まるで天使が伝達者であるかのごとくに、わずか2週間でドイツ全土に、4週間で全ヨーロッパに広まり、学者間の討議を求めたルターの当初の意図を越えて、さらに大きな反響を呼ぶに至ったのである。そして、これを発端として〝宗教改革運動〟が勃発するのである。

 

宗教改革は、「エラスムスが卵を産み、ルターがそれを孵化ふかした」と言われている。

しかし、エラスムスは、後にルターに対する最大の論敵となるのである。

 

人本主義は、人間の自由を束縛そくばくする形式的な宗教的儀式や規範に反抗し、人間の自主性を蹂躪じゅうりんする封建的階級制度や法王権にも反抗するようになった。すなわち、知性と理性を無視してなにごとにおいても法王に隷属れいぞくしなければ解決しないというような固陋ころうな信仰生活に反発して、自然と現実と科学を無視する遁世とんせい的・他界的・禁欲的な信仰態度を排撃するようになっていった。

しかし、〝神本主義〟は、人本主義のような本心の外的な追求だけでなく、本心の内的な欲望をも追及するようになっていくのである。このように人本主義(ルネッサンス)は、宗教改革に大きな影響を与えたのである(『原理講論』「宗教改革期」510-518頁を参照)。

 

デジデリウス・エラスムス(1466-1536)といえば、一般的に偉大なヒューマニストとして知られ、彼の著書『痴愚神ちぐしん礼讃らいさん』は、ヨーロッパ全土を爆笑の渦にまきこんだ不朽の名作である。また、ルターの宗教改革の前年の1516年には、ギリシャ語の新約聖書(新約聖書のラテン語・ギリシャ語対訳『校訂版・新約聖書』)を出版し、彼はその名声を不動のものとした。

エラスムスの神学思想は、一口に言って、教父きょうふたちがそうであったように、古典主義と聖書研究に基づくキリスト教との統一にある。当時の彼に対する人物評価は、彼ほどギリシャ語・ラテン語の古典の教養を身につけていた人はいないともいわれ、また彼は〝教父学〟の一大権威でもあった。

 

ところで、彼は、ルターの「九十五ヵ条の堤題」に対しては、全面的ではないが、賛意を表明していた。しかし、エラスムスは、教会の道徳や規律の改革運動には好意的であったが、その騒動には巻き込まれたくなかったのである。

ところが、当時の社会情勢は、彼に〝傍観者〟たることを許さず、反ルターを表明する何かを書くようにと、「高貴な人たち」(ヘンリー八世、ザクセンのゲオルク公、ローマ教皇など)からの圧力がかかった。それで避けることができず、エラスムスはルターと論戦する羽目になる。

 

1524年9月、エラスムスは『評論・自由意志』を出版し、「自由意志にはなんらかの力がある」とこれを肯定する。これに対して、ルターは『奴隷的意志』(1525年12月)を書いて反論し、「人間始祖アダムとエバの堕落以後は、人間における選択の自由とは名のみの存在にすぎない」と主張し、人間の意志決定の力は自由自在ではなく、奴隷的であるとして、これを否定した。

 

この両者の論争の中心点はどこにあるかと言えば、すでに論述してきたごとく「信仰」と「行い」、「恩恵」と「自由意志」の問題であり、その双方の対立か、協働きょうどうか、にある。

 

(A)「ルターに対する反論」(エラスムス著『評論・自由意志』より)

 

第一に、エラスムスは、「一つの意見を固執こしつするあまり、それと異なる意見はいっさいこれを許さないという性向は、正直のところ自分の好むところではない」(『エラスムス』、斎藤美洲著、清水書院、140-141頁)と言う。

 

第二に、「ルターは聖書のほかには権威ある根拠をいっさい認めない」と言って、「古来意志の自由を認める圧倒的多数の哲学者、教父たちの所説は不問に付す」が、「それではいったい聖書の述べるところを人が理解し解釈する場合、その正否の基準を何に求めるのか」(同、141-142頁)と問う。

 

第三に、ルター派の人たちが、正否の基準を「その人に宿る聖霊の有無である」(同、142頁)と言うのに対して、「それならば、数名の人びとが相異なる解釈を提出して、おのおのがわれに聖霊ありと主張したならば、どうすればよいのか」(同、142頁)と問題を提起する。

 

第四に、自由意志の問題についてはローマ教会も古来の教父たちも誤りをおかしたことになるならば、「聖霊は1300年の長きにわたって、それをあえて見すごしてこられたのであろうか」(同、142頁)と問題を提起して、ルターの批判は短絡的であると指摘する。

 

第五に、「聖書の中には意志の自由を認める章句が数多くみられる反面、それを否定するかのように思われる章句も若干ある。しかし聖霊に鼓吹こすいされて書かれている以上、自己矛盾をおかすはずもないのだから、その両者を慎重に読み合わせなくてはなるまい」(同、142頁)と述べて、ルターの一面性を指摘する。

 

第六に、エラスムスは、「自由意志は原罪のために傷つけられてはいるが、全く滅びたわけではない。それは一種の麻痺まひにかかり、神の恩寵を受けるまでは善よりは悪に傾きがちだが、全く働かなくなったわけではない」(同、143頁)と言う。

 

第七に、「もしも人の思いなおしがその意志によらずに、すべてがある必然によって神の手で果たされるものならば、何故に人は悔い改めるための猶予ゆうよを与えられたのであろうか」(同、143頁)と問題点を指摘する。

全知全能である神であるならば、なぜ罪悪歴史をこのように長く放置されるのか。すぐに人間を救済し、天国を実現することができるのではないか、という問題がある。

原理的に見れば、神の上よりの一方的な「恵み」だけでなく、人間の5%の責任分担(悔い改めるための猶予)があるのではないかという意味である。

 

第八に、「自由意志をまったく否定し、万事が必然性によって生ずるならば、あるいは人間は神の単なる道具にすぎないならば、聖書のなかの多くの勧告、命令、非難、要求はまったく意味のないものになってしまう」(『ルター』、小牧治・泉谷周三郎共著、清水書院、185頁)と述べて、ルターが聖書を用いて人間の自由意志による「応答責任性」を否定するその聖書解釈(信仰義認論)の誤りを指摘する。

 

エラスムスの「恩恵」と「自由意志」の関わり合いの統一的な理解は、次のたとえ話に明言されている。

「……恩恵によるのでなければ、得ようと努力している目的物を獲得することはできないのであるが、私たちの意志は何もなしていないのではない。……たとえば、激しい嵐の中から船を無傷で港へ導き入れた船乗りが、『私が船を救った』と言わず、『神が救いたもうた』と言うようなものだ。彼の技術と努力が何ら働きをしなかったわけではない。同様に、豊かな収穫を畑から納屋へ運び入れている農夫は、『私がこんなに多量な年収穫高をあげた』とは言わないで、『神がお与えになった』と語る。しかし、そうだからといって、農夫が穀物の収穫のために何の働きもしなかったと言う者があろうか。……しかし神の好意が近づかなければ、人間のわざは何の成果もあげえないから、全体が神の恵みに帰せられているのである」(『世界の名著18・ルター』、中央公論社、229頁、〈エラスムス著『評論』第三部後篇一節〉)。

 

以上がエラスムスによるルター批判であり、恩恵と自由意志との「協働説」である。エラスムスは、教父時代のアウグスティヌスとペラギウスの論争問題、すなわち救いは恩恵のみか、自由意志による功徳の積み重ねか、をここで持ち出してきたのである。

 

                          

続きはコチラです。

 

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