権進様、 6・25参戦退役軍人の日 「メダルと感謝状」 を受ける


「米40師団歩兵・6・25参戦退役軍人の日」で真のお父様の証…祝辞と歌で人気を博す

韓国・家庭連合公式サイトより

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権進様は去る10月12日ラスベガスで開かれた「米40師団歩兵6・25参戦退役軍人の日」の行事でメダルと感謝状を受けた。また祝辞で真のお父様を証し、歌を歌って人気を博した。

これまで権進様はラスベガスの韓国人社会で6・25に参戦した勇士を賛える奉仕活動を熱心にし、韓国人在郷軍人会が権進様を米40師団歩兵・6・25参戦勇士会に推薦して、この日感謝状とメダルを受けることになった。

またこの日、権進様はLA韓国総領事館と韓国人コミュニティーの代表として祝辞を述べた。権進様は祝辞の中で自身が文鮮明総裁の息子であることを明らかにして、「人類を救援するためにこの地に来られた私の父は1950年5月20日から2年8ヶ月間興南(フンナム)監獄所に収監されていたことがありました。」「父は生前、韓国動乱に参戦した勇士に対して大変関心を持ち、参戦した方々に対して常に感謝の思いを抱き、彼らを慰労しました。」と語り、真のお父様を証した。

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権進様は2日後の10月14日はお父様が出監された日と述べ、「私の父の生命を助けて下さり、大韓民国のために戦って下さった勇士の皆様の犠牲に、父の息子として、大韓民国の息子として真に感謝申し上げます。 私の父のため、韓国のために命をかけて勇敢に戦って下さった勇士の皆様にこのようにお目にかかることができて直接感謝の気持ちを伝えることになり、本当にうれしく感謝します。」と言われて、韓国動乱に参戦した勇士らとその家族を慰労し多くの拍手を受けた。

権進様は引き続き「歌手エルビス・プレスリーが韓国動乱に参戦した勇士であることをご存知ですか? 直接戦争に参加はしませんでしたが、彼は韓国での戦争に参加しようとしたし、彼の名前は参戦軍人として残っています。 今日この日を賛えるために韓国動乱の戦友であるエルビスの歌を贈ります」と話され、エルビス・プレスリーの歌 ’If I can Dream’ を熱唱して参戦した勇士はもちろんこの日の行事に参加した皆を熱くさせた。

この日、行事には白髪の年老いた退役軍人らとすでに他界した兵士の家族、そして韓国戦で戦死した兵士の家族らが参加したが、これからは息子、娘たちが彼らの父母の代わりに6・25参戦の精神を受け継いで韓国との友好関係を緊密にしていくことを決意した。

権進様はこの日、米40師団歩兵・韓国動乱に参戦した勇士達にお父様を証し、メダルと感謝状を受け取り、歌で彼らを慰めるなど、このすべての栄光を天の父母様と真のご父母様に捧げると語られた。

149098878644378_10205439185965352_7869712534162897553_n             ▼メダルを受ける権進様

1490988781527105_10205439185845349_6256818995487838888_n             ▼太極旗を持って。退役軍人代表と権進様御夫妻

1490988781622723_10205439185925351_1705782308904908708_n             ▼権進様御夫妻と韓人会会長

14909887810360215_10205439188125406_6062955205367619242_n             ▼感謝状と韓国の地図が入った退役軍人の帽子

14909887810388067_10205439185885350_6875439459391249445_n             ▼退役軍人たちと一緒に。

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(Harikawa)




coded by nessus
Posted by on 2014年11月21日. Filed under トピックス, 真の家庭, 社会, 祝福家庭. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

One Response to 権進様、 6・25参戦退役軍人の日 「メダルと感謝状」 を受ける

  1. radar site

    情報ありがとうございます。

    我が、日本の掃海隊も参加しました。
    その名も「日本特別掃海隊」

    日本特別掃海隊(にほんとくべつそうかいたい)とは、朝鮮戦争の際に国連軍の要求で日本の海上保安庁が派遣した掃海隊。
    ウィキペディアより→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8E%83%E6%B5%B7%E9%9A%8A

    朝鮮戦争当時、日本からは、日本を占領下においていた連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年に限っても56名が命を落とした[1]。また、アメリカ軍によって集められた日本人港湾労働者数千人が韓国の港で荷役作業を行った[1]。

    朝鮮戦争には、第二次世界大戦の終戦以降日本を占領下に置いていた連合国軍、特に国連軍として朝鮮戦争に参戦していたアメリカ軍やイギリス軍の指示により、日本の海上保安庁の掃海部隊からなる「特別掃海隊」も派遣され、死傷者を出しながら国連軍の作戦遂行に貢献した。

    国連軍掃海部隊と日本への派遣要求[編集]

    開戦直後から、北朝鮮軍は機雷戦活動を開始しており、これを認めたアメリカ海軍第7艦隊司令官は1950年9月11日に機雷対処を命じた。ところが、国連軍編成後も国連軍掃海部隊は極僅かであった。元山上陸作戦を決定した国連軍は、日本の海上保安庁の掃海部隊の派遣を求めることを決定する。10月6日アメリカ極東海軍司令官から山崎猛運輸大臣に対し、日本の掃海艇使用について、文書を以て指令が出された。

    法的規定[編集]

    1945年9月2日の連合国最高司令官指令第2号には、「日本帝国大本営は一切の掃海艇が所定の武装解除の措置を実行し、所要の燃料を補給し、掃海任務に利用し得る如く保存すべし。日本国および朝鮮水域における水中機雷は連合国最高司令官の指定海軍代表者により指示せらるる所に従い除去せらるべし」とあり、連合国軍の命令により海上保安庁は朝鮮水域において掃海作業を実施する法的根拠は一応存在していた。もっとも、朝鮮水域は戦闘地域であり、そこで上陸作戦のために掃海作業をすることは戦闘行為に相当するため、連合国軍による占領下にある日本が掃海部隊を派遣することは、国際的に微妙な問題をはらんでいた。また、国内的には、海上保安庁法第25条が海上保安庁の非軍事的性格を明文を以て規定していることから、これまた問題となる可能性があった。そこで、日本特別掃海隊は日章旗ではなく、国際信号旗の「E旗」を掲げることが指示された。

    吉田茂首相の承認の下、日本占領にあたっていた連合国軍の指示に従い、10月16日に海上保安庁は掃海部隊を編成した。戦地での掃海活動は、戦争行為を構成する作戦行動であり、事実上この朝鮮戦争における掃海活動は、第二次世界大戦後の日本にとって初めての参戦となった。しかし、国会承認もなしに掃海艇を派遣していた事実が明るみに出ると、憲法上の兼ね合いから当時の国会において問題となった。

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