ブルンナー「出会いの神学」Part2


キリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに掲載されている記事を紹介します。

キリスト教神学に対する統一原理の見解を解説しているサイトで、

今回はスイス出身で、プロテスタントの神学者ブランナーの「出会いの神学」の連載2回目です。

 

下記はサイトより一部引用です。

                                           

(2)「ブルンナーの『反対命題とその基礎づけ』」(「神の像」について)Emil Brunner2

 

はじめに、ブルンナーは、彼自身の「反対命題とその基礎づけ」として、人間が他の被造物から区別されるのは、人間の中にある「神の像」であると次のように述べている。

 「人間の持っている神の姿すがたについては、実際は二つの意味で語られねばならない。一つは形式的な意味で、もう一つは内容的な意味でである。この神のかたちという概念の形式的な意味は、人間性(Humanum)ということである。換言すれば、罪人であろうとなかろうと、人間をほかのすべての被造物から区別するものが神の像という概念の形式的な意味である。……人間はまた罪人としても天地万物の中心点であり、頂点であることをやめてしまったのではない。……天地万物の中でのこの優位の立場は、人間が神に対して持っている特別な位置の上に基づいている。詳しく言えば、神が人間を特別なものに創造したということ、すなわち、神の像を担う者として創造したということの上に基づいている。この像を担うという機能、あるいは像を担うという性質は、罪を犯したために除去されていないばかりか、それは罪を犯しうることの前提であり、まさしく罪の中でこそ生きて活動してくるところのものである。」(ブルンナー著『自然と恩寵』、143-144頁)

 このように、神は人間を特別なものとして、神のかたちを担う者として創造したというのである。そして、それは、罪によっても除去されていないというのである。

                                            

続きはキリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに掲載されています。

 




coded by nessus
Posted by on 2014年6月11日. Filed under コラム, 教育・留学. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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