ティリッヒ「神〈究極者〉は「存在自体」〈存在の力〉である」


キリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに掲載されている記事を紹介します。

キリスト教神学に対する統一原理の見解を解説しているサイトで、今回はドイツの神学者ティリッヒの「弁償神学」の連載26回目です。

下記はサイトより一部引用です。

 

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PaulTillich11-150x150ヘーゲルの三位一体論について、パネンベルクは次のように述べている。

 

「ヘーゲルは、まず彼の『宗教哲学』における三一論の取り扱いにおいて、神の一体性は、神的位格の相互関係からまさしく理解されるという考えに立って『位格』の概念を形成した。………『……人格性の真理は、まさしく、没入することによって、つまり、他者の中に没入することによって、獲得するものなのである』。人格の本質が、他の人格への自己献身において存在するという、この深い思索を通して、ヘーゲルは相互的な自己献身の一致として、すなわち、相互的な献身の経過によってはじめて存在する一致として、三位一体を理解した。」(『キリスト論要綱』W・パネンベルク著、新教出版社、210頁)

 

原理的に言えば、他者との一体化は献身的な真の愛による。

 

真の愛による神の一体性と三位性について、統一原理は次のように述べている。

 

「神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。」(『原理講論』三位一体論、267頁)

「神はイエスと聖霊を、のちのアダムとのちのエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を新生(重生じゅうせい)させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。」(同)

 

西方教会が、父なる神と御子から聖霊が発出すると理解するのに対し、東方教会は、聖霊が父なる神から直接発出すると解釈して対立し、分裂している。




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Posted by on 2014年3月31日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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