発明家ニコラ・テスラの謎


発明家ニコラ・テスラの謎

 

私は1979年5月13日、ニューヨカーホテルの30階で文鮮明師の紹介により現在の妻に出会ったのだが、最近、ニューヨーカーホテルにまつわる面白い話を知った。もちろんこれも私にとって深い意味を持つ。 

筆者のロン・パパラード

筆者のロン・パパラード

あのニコラ・テスラが私が妻を紹介された部屋の丁度、3階上の部屋で晩年の10年間暮らしていたというのだ。

ニコラ・テスラはセルビア系アメリカ人で史上最も優れた発明家の一人であった。1895年にナイアガラの滝に設置された世界初の大型水力発電機は彼の設計によるものである。

ギリシャ正教の司祭の息子として生まれたテスラは7歳の時に幽体離脱を体験する。子供の時にナイアガラの滝の写真を見て、いつかその力を利用して見せる、と予言した。またブダペスト(ハンガリーの首都)で夕日を眺めている時に交流電流(AC)のアイデアを思いついたという。さらに物質とエネルギーは互換性があるという霊感を受けた予言は、アインシュタインが相対性理論を発表する何年も以前になされた。彼はいわゆる『霊眼の開いた人』なのである。

私の思う所、多くの重要な科学的発見は天的啓示に触発されていると言っていい。もっと言えば神が、テスラや他の科学者を通してご自身の摂理を進められたのだ。テスラは彼の数々の発明が人類のためになるという理想と希望に満ちていた。

テスラについて評価できる事は、自分の信仰、ギリシャ正教の教義にとらわれることなく他の伝統的信仰からの考えを否定しなかった。例えば、1883年世界宗教会議第一回集会でスピーチをするためアメリカに来たインドの宗教家でヨガ指導者のスワーミー・ヴィヴェーカーナンダと親交を温めていた。ヴィヴェーカーナンダは宗教と科学の調和に貢献する能力があるとテスラを評価していた。

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

テスラは1884年にトーマス・エジソン宛ての紹介状を携えてアメリカ合衆国に移民としてやってきた。エジソンの設立した会社  (現在のGeneral Electric社の前身)でしばらく働いたが、エジソンとの技術的な確執でそこを退職する。交流電流(AC)の可能性に自信を持っていたテスラと従来の直流(DC)を信じてやまないエジソンとの対立があったのだ。結局テスラが正しかったのだが。(現在、各国とも発電所から送電される電気は全て交流である。)

特に、エジソンとテスラの2人が協力していてくれたらと思うのは、『霊電話』 spirit phoneに関してだ。アメリカン・マガジンの1920年のインタビューで、エジソンは地上の人が霊界の人と交信できる装置を開発中であると述べたが、当時の反響は大きく600人の読者から問い合わせがあったという。エジソンは1931年に没したが、テスラとともに研究を続けていれば、ひょっとしたら…と、私は思うのだ。

テスラは1943年1月7日に亡くなったが、彼の葬儀でニューヨーク市長のフィオレロ・ヘンリー・ラガーディアは次のような弔辞を述べた。『 … 87歳で質素なホテルの部屋で亡くなったニコラ・テスラは貧しい中で亡くなったが、彼は人類の進歩に貢献した、史上もっとも成功を収めた人物の一人であった。』

Nikola Tesla* ニコラ・テスラ(Nikola Tesla 1856年7月10日 – 1943年1月7日)は、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す。wikipediaより

 

米国家庭連合記事より

訳Harikawa




coded by nessus
Posted by on 2013年6月17日. Filed under コラム, トピックス, 統一運動. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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