「反韓デモ」に対しての反対デモ


最近新大久保などで行われている「反韓デモ」に対して反対する活動が話題になっています。

同活動が特徴的なのは「反韓デモそのもの」でなく、デモで掲げられるプラカードや発言で繰り返される「民族差別的発言や暴力行為」に対して反対を表明している点です。

同活動の発案者である木野トシキさんは、自身のブログで次のように述べています。

 

わが国では「言論の自由」が保障されていますので、デモ行進自体は法的にも認められた当たり前の権利であり問題はありません。しかし、「○○人を殺せ!」「○○人は、首を吊れ!」などといった、民族や国籍などを理由とした差別発言が許されるはずがありません。

 

この活動は韓国内のブログメディアなどでも取り上げられ、話題となっているようです。

以下は韓国ブログメディアからの機械訳です。

ピクチャ 1

1。 “国を蝕む朝鮮やつらは退け!” “虫のような奴ら” “文句ある? 仕方の? “”日本で去れ! “”韓国人たちを殴って追え! “”竹島は日本の領土だ “

憎悪と怒りに満ちた言葉が、旭日昇天期悪口が書かれたプラカード、悪口を書いておいた韓国国旗を持った連中からあふれ出た。 韓国語で書かれた看板と韓国料理を売る店がいっぱい、日本の新大久保の距離を、彼らは韓国を声高に悪口を言いながら行進した。 韓国人に見える通行人、あるいは韓国のお店を利用していた道行く人らに悪口を浴びせ挑発することもはばからなかった。 秩序維持のために投入された警察は、デモ隊と通行人の物理的な衝突を防止するだけで、デモ隊の露骨な差別的発言、言葉の暴力に制裁を加えなかった。


出典: 不逞鲜人追放!韓流撲滅デモin新大久保2013/2/9

 

2。 “在日特権を許されない市民の会”、略称 “在特会”が中心となった右翼集団 “新国家運動”が繰り広げ、2月9日に開かれ惚れ(反韩)デモの風景です。 在特会は在日朝鮮人(在日韓国人)を非難する有名な極右団体の一つで、戦後の日本に残留した在日朝鮮人に “特別永住権”を付与し、基礎生活保護をするなどの政府の政策、すなわち外国人の “在日特権”について、強度の高い非難を繰り返してきた。 (もちろん当然これが “特権”ではない。後機会があれば関連記事を書かせていただきますが)そして2月9日、約200人規模の行進デモを、東京の最も有名で大きなコリアンタウンで開いた。

これらはさらに、 “悪い朝鮮人でもいい朝鮮人もみな殺し”という発言までして、日本人の間でも反感を買った私は、一方では、そのデモの様相がニコニコ動化や2chなど、インターネットに常駐する若い右翼層を中心に急速に拡散され、さらにはコミュニティを作ってデモを生中継までした。 一時間半にわたる集会が終わったが、新大久保では、デモ隊による大小の衝突が続いた。 先の総選挙で示されている、日本の右傾化を赤裸々に見せてくれるようだった。 各種在日韓国人コミュニティでは、デモの時間帯に新大久保での外出を控えるしようという声が出たりした。


出典: 不逞鲜人追放!韓流撲滅デモin新大久保2013/2/9

 

3。 一方、Twitterでこんな極右たちの動きに対抗しようとする動きが現れ始めた。 普段にも差別や労働問題などについて声を高めてきたツイッターリアンキノ俊樹(@ Kino_Toshiki)さんは、反韓デモに現れた日本の人種差別、国籍差別に対する反対行動が必要であることを力説して、反韓デモに対抗する”反韓デモの意見表示 “行動を 2月17日予定の新大久保”反韓デモ”について、差別反対の意思表示をしていないか?)

方法は簡単だった。 “親しく過ごし”と書かれたプラカードを持って、差別に反対するメッセージを伝えること。 この提案は、好評を得た。 これ以上、自国民の外国人差別を傍観することができない、外国人に対する暴力に日本人として抵抗しなければならないという問題意識を感じた人々が一人二人賛同の意思を明らかにし始めた。 日本人として、日本人の国籍差別が恥ずかしい、防がなければならないというツイートが#反韓デモの意思表示タグをつけて上がってきた。

2番目の反韓デモと竹島返しデモが予定されていた17日午後3時、人種/国籍差別を傍観することができなかった日本人たちが新大久保に集まった。 ベビーカーに娘を乗せてきた夫婦もいた。 約30人ほどの人々が “親しく過ごし” “共存” “差別反対”と書かれたプラカードを持っ新大久保の距離に立った。 約30分ほど経つと、彼らがいた場所に惚れたデモ隊の行列が見つけてきて、道行く人たちとデモ隊に無差別的な暴言を浴びせた。 半 “反韓デモ”デモ隊はただ静かにプラカードを持って、彼らが通り過ぎるまで、平和と連帯のメッセージを高聞いた。


“差別を許さない”

 

4。 常識的に考えても、 “韓国人の首を毎月アラ” “殺せ”という差別的発言を白昼に多数のデモ隊が堂々とできることは話にならない。 例えば、今日、米国で “黒人を殺せ”とデモが起きたらどうだったろう? ドイツで “ユダヤ人を殺せ”というデモが起きたらどうだったろう? 差別発言により刑事処罰を受けたり、少なくとも大衆の支持を得られなかっただろう。

しかし、日本ではあまりにも堂々と差別と排除を主張する。 国は、差別を防ごうとするどころか、社会的弱者と “一般人”をあらゆる方法で分け差分待遇をしてきた。 戦後の日本に残った在日朝鮮人(韓国人)への差別、出入国管理法による外国人強制追放、外国人に対する憲法の例外の適用、ハンセン病患者たちの再配置、生活保護受給対象者に対する国家的次元の排除、東北地方の災害ミンに対する差別など。 このような差別意識は、先の総選挙の結果からも簡単に分かるように、長い時間が経ったにもかかわらず、(日本だけの問題ではありませんが)まだ現在進行中である。


現場に出てきた女性の姿。

 

5。 差別、排除、抑圧、嫌悪感。 これらは決して個人の自由や権利として認められて容認できるものではない。 朝鮮人に反対を叫ぶ者たちのデモを国が許可する名分は “表現の自由” “集会の自由”であるが、他人の権益を明らかに、著しく侵害しており、実質的な被害を与えて点では、これは決して “自由”という名に許諾することができるものではない。

それでもなぜこのようなデモを堂々とすることができただろうか。 国は、なぜこのように外国人差別、貧困層差別を当然のようにまだまでできるか。 それは差別と排除が存在してはいけないという社会的な圧力が、今までにないようにしてきたからである。

最近台頭している”物価作戦水际作戦問題”、すなわち貧困層の生活保護申請受理を避ける(拒否)の問題(関連記事: 現代国家と福祉:日本の最近の事例を中心に )が表示される何十年前、在日朝鮮人たちは生活保護を受給するにあたってのような痛みを経てきた。 過去にはただ在日朝鮮人の問題とされていたものが、今日に来て、同じ日本人の、最も弱い人々を対象に再表示されたのだ。

外国人に対する差別は、最終的に弱者に対する差別であり、同じ日本人でも “貧困層”という弱者にこんな差別は例外であることがなかったのだ。 労働者、障害者、女性、貧困層、外国人。 このような社会的弱者の権益を保護する運動が日本にはあまりにも不足しており、その少しずつ許可された差別、排除主義は到底コントロールできない怪物になって、現代の日本を襲っているのだ。

差別は他人の問題だと思ってただ傍観してきた柔弱な過去への反省が、まさに今日17日に新大久保であった “反韓デモの意思表示”行動なのである。 これ以上差別を置いて見ることができないという意志、外国人に対する差別を許容するのは、結局自分たちに対​​する差別を許容するのと同じだという問題意識が、それぞれプラカードを作って、手に持った人々を呼び集めたのだ。


反韓勢力と、差別に反対する勢力が道を渡っている。

 

6。 差別が蔓延した社会は、仮に日本だけではない。 韓国もひどければ、よりシムヘトジ決してメリットはない。 性少数者と女性にあまりにも堂々と加わるあらゆる暴言、非難した。 労働者に降り注ぐ叱咤。 障害者をさらに傷つけ作るからかった。 外国人労働者への排除。 これ果たして彼らだけの問題なのか? 一生 “差別する” “強者の” “社会的主流の”編のみ立つことができる自信があるか? 社会的弱者に加わる差別と排除は結局いつか自分自身に向けた矢がされて飛んでくるということを自覚することが、差別に反対する行動を起こす第一歩になるだろう。 差別と排除と抑圧に反対するということは、最終的に私のための仕事でもあるわけだ。

私たちは、差別にどのように対抗するのか。 年代がその答えだ。 それぞれのアイデンティティ、すなわち、国籍、民族、収入、職業、学歴、性別をはっきりと認識し、この人為的区分を超えてただの人間だというただ一つの共通点で連帯することができるということをわかっていること、そして連帯すること。 この連携を通じて、社会の構成員の誰に、どんな種類の差別も容認しないこと。 南の差別をすぐに私に対する差別に認識して抵抗するだけでは、当然視される差別を防ぐことができる、差別が容認されない社会を作ることができるただ一つの道ではないだろうか。


“悲しい差別は今嫌だ。”

 

7。 反韓デモに対する抵抗行動が終わってまた一席に集まった人々の顔には笑顔があった。彼らが大切に思うものは何かを守った信仰は、人間として許されない行為の前に堂々と立ち向かったは自信を持って笑顔の源泉ではないだろうか。 たとえたくさん遅いものの、今でも差別を容認しない声が出たというそれ自体だけでも非常に意味あったし、一方ではありがたかった。

 

 

 

 
Posted by on 2013年2月19日. Filed under トピックス, ニュース, 国際情勢. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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