現在の文化的価値的状況に対する文師の言葉と観点の妥当性(抜粋翻訳)


これは、2008年11月28日~12月1日に開催された第20回『国際統一思想シンポジウム』で発表されたデビッド・カールソン氏(当時:清心神学大学院助教授、韓国)による論文を一部抜粋、翻訳したものです。

 

 

『The Relevance of Rev.Moon’s Words and Viewpoint

for the Current Cultural and Axiological Situation』

Dr.David Carlson 

 

我々統一運動が形成するそうしたネットワーキングは、統一思想の観点から我々の思考方式、他との関連性などユニークな方法でつくられるべきである。これは各個人の責任である。我々が過去に得た評判を考慮すると、そのようなネットワーク作りは楽な仕事ではない。我々は信仰から行動を起こし、その動機は純粋であったもののその結果は、いくつかのかなり乱暴な誤りを犯した。我々がそのとき達成するべく神から与えられた課題を、達成するほど十分に我々はプロフェッショナルではなかったのである。

 

我々には、価値とビジョン、そして行動力があるものの、社会的に権力や影響力のある人々から敬意や信用、および賛美を得ることができるプロフェッショナリズムをまだ持ちえていない。 

 

我々が理解する必要があることは、我々の知識と専門性または理解力、および分析力において我々はプロフェッショナリズムを必要とするということである。保守派の人々の著書を読むということは、彼らがプロフェッショナリズムを持っているため我々の成長に役立つということである。しかし、さらに重要なのは我々の流儀のプロフェッショナリズムを持つということだろう。我々の方法、スタイルなど我々の「パッケージ」はすべて重要である。我々は、我々の理念を話し、提示して彼らの敬意と信用を獲得し、有力な人々との関係を構築する必要がある。我々はこのタイプのプロフェッショナリズムが悲しいことに乏しい。

 

我々は、我々の子供に統一思想の範疇に留まって欲しいと思っているものの、彼らの幾人かはそうなっていない。そのうえ、社会で影響を持っている人々は我々を受け入れず、尊敬もしていない。それで問われるべきは、我々はどのようにしてそのネットワークにアプローチするべきであろうか?

 

我々のネットワークは現実に価値指向でなければならないが、「我々」が行うパッケージ化は非常に洗練されていなければならない。これはそれぞれの個人の責任にまでなっている。各個人は洗練されて価値の視点を維持しつつ、プロの態度でそれらを実行する。これは信仰と人生、理念と活動の間の高度なバランスを必要とする。我々が統一思想の基準において成熟すれば、「そのような規格に応用する」ことにおいてそう難しくはなく、ふさわしい人物とコンタクトを取ることが容易になると信じている。

 

アメリカのチャック・ハーゲル上院議員は次のように述べている。「我々の成功は努力と、賢くて知的な方針と、強力で開明的な指導力の結果である」。我々は我々が努力することを知っており、そして課題に関して知識を持つことができ、そしてその結果、将来においてアメリカと世界の心情的なリーダーになることができる。そうすることやそうなることに失敗するとするならば、それは我々が「盲目的な信仰」であったか能力がなかった結果であり、我々は誤りを犯し続けることになるだろう。そしてこれらは我々が達成しようとしていることに対し非生産的なことになるであろう。

 

Posted by on 2012年11月15日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

Leave a Response

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*