①「母のつよさ」 ②「敵を愛する」


みなさんこんにちは、楽しい休日を過ごされていると思います。今日は朝から二つの感動的な実話と出会いました。ひとつは、息子をいじめられたお母さんの話し、もうひとつは息子を殺された牧師さんの話しです。感動もしましたが、「愛」とは何だろう「慈悲」とは何だろうと考えさせられました。長文ですがもしお時間があればご一読いだたければ幸いです。

①「母のつよさ」吉田
誠治さんの文章からの抜粋

「いっそこの海に、この子と一緒に飛び込みたい!」
大阪から高知に向かう汽船の甲板で、

暗い海を見つめながら、
母親はそう思った。


脳裏には、数時間前に聞いた医師の言葉が、
貼り付いていた。

「お気の毒ですが、お子さんの眼は癌に

冒されています。それも両眼とも。

病名は網膜(もうまく)こう腫」

「今すぐに、両眼を摘出しなければお子さんの命が危ない。

眼球を残すか、命を救うか、二つに一つです」

高知市内の眼科を片っ端から訪ね歩いた末、
大阪の専門病院で告げられた、

いわば最後通牒(つうちょう)だった。

全身が凍りついた。
わが子の眼を抉り(えぐり)出すなんて。

想像するだけで心が乱れた。
ふらつく足取りで、高知への帰り船に乗った。

〈飛び込もう!〉

母の悲壮な決意を察知してか、背中におぶった赤ん坊も
激しく泣き叫ぶ。

最後にもう一度と、

背中の赤ん坊をのぞき見た瞬間だった。

それまで火がついたように泣き叫んでいた
赤ん坊がニコリと笑った。

それは天使の笑顔だった。
母はハッと我に返った。

〈こんなにも一生懸命に泣き、一生懸命に笑っている

この子の命を奪おうなんて。

私はなんと愚かなおそろしいことを考えていたのか。
私がするべきことは、

今ここでこの笑顔を断つことではなく、
この子が大人になったとき、

もっと素敵な笑顔になれるよう、

しっかり育てることだった。〉

母親は生と死の境界で踏み止まった。
それは、つよい母になるんだと、自らに誓った

一瞬でもあった。

三歳になった少年は、保育園に通いだした。
眼球は失ったが、園庭を自由自在に動くことができた。

周りの子供は、眼をつぶったまま動き回る彼を
不思議に思った。

「ねぇ、どうして眼をつぶったまま、動けるの?」

「ぼく、眼がないんだよ」

少年の言葉に、みんなは、ワーッと叫びながら、
逃げてしまった。

翌日から、少年に対する

陰湿な からかい と いじめ が始まった。

「やーい、めくらぁ、めくらぁ」
はやしながら、滑り台の上から突き落とした。

石を投げつけた。
少年の体は生傷が絶えなかった。

あるとき、
「眼を見せて」

という子に、少年はまぶたを開いて見せた。
一瞬後、まぶたの奥に激痛が走った。

こじ開けたまぶたの中に、砂と土が詰め込まれていた。
少年はカッとして、飛びかかっていこうとした。

その瞬間だった。

少年の肩をつかむ人がいた。

少年の母親だった。
母親は、いつも園庭の陰で、少年の様子を見守っていた。

わが子がどんなにいじめられ、
からかわれても、

飛び出すことをしなかったのに、

少年がとうとう執拗(しつよう)ないじめに耐えかねて、

相手に立ち向かっていこうとした時、
飛び出してきた。

そして、わが子を制したのだった。
母親は、少年をやさしく諭(さと)した。

「可哀相なのは、お前じゃないよ。

いじめられ、からかわれたお前より

もっと可哀相なのは、
自分より弱い立場の人間を

いじめたり からかったりしないと
自分の心を満足させられない人。

そんな人のほうが ずっと可哀相なのよ」

この母親の眼差しは深い。そして涼(すず)やかだ。

それは人間を見つめ、わが子の歩む道を照らす
慈愛の眼差しである。

少年は、この愛に育まれて真っ直ぐに
成長した。

全盲のシンガーソングライター・堀内桂さんの幼少期の話です。

※堀内佳さんのコンサート風景
http://www.youtube.com/watch?v=HB_HxIMV79I

彼は、針師(はりし)として勤務しながら、
全国でツアーコンサートを行ない、

大勢の人々に、生きる勇気を与え続けている。

堀内さんはいう。

「今にして思うけれど、あのとき、一番辛かったのは、
自分ではなく、おふくろだったんです。

わが子がいじめられたり、からかわれたりするのを
見ながら、自分の人生を教えてくれたおふくろ、

いのちの大切さを教えてくれたおふくろに
今ではすごく感謝してます。」

とかく私たちは、今自分がおかれた環境にとらわれ、

一喜一憂してしまいがちだけれども、 それで絶望したり、諦めてしまっては、 咲く花も咲かない。

親は子供の未来にこそ視線を据(す)えたい。

未来を信じるその心が、
子供の無限の可能性をおしひらくのだ

②「敵を愛する」
私も何度かお名前は聞いたことがあったのですが、韓国にソンヤンウォンという牧師さんがいらっしゃいました。

韓国では「愛の原子爆弾」というあだ名で呼ばれていますが、今日たまたまソン牧師の人生を伝えるミュ-ジカルの製作に密着した映像を見る機会がありました。

朝鮮戦争は米国とソ連の代理戦争と言われていますが、ベトナム戦争同様民族同士が殺し合うという悲惨な戦争で、人民裁判などで、多くの無実の方が殺されました。

ちょっと分かりにくいのですが、ようは住民同士で有利な方が不利な方を裁判にかけ殺してしまうわけです。

ソン牧師には南を支持する息子がいらっしゃいましたが、北が優位になっていた時、北を支持する人に殺されてしまつたそうです。

やがて形勢が逆転し南が有利に立つと、その息子を殺した犯人が大変不利な困難な状況に立たされたそうです。その時、このソンヤンウォンは自分の息子を殺した犯人を助け、自分の息子として受け入れたそうです。

当然周りにいる人達は大変な反対をしたそうですが何故そのようなことをしたのかと聞くと彼は、「汝の敵を愛せよ」というイエス様の言葉の重要性を語ったといいます。

また、隔離されているライ病患者のところに行き、病気で崩れた足の先から出ている膿を口で吸い取ってあげて患者さんを癒したと伝えられています。

長くなりましたが、①と②の二つの話しに一日のうちに接し、感動すると同時に深く考えさせらる一日でした。

ありがとうございました。

Posted by on 2012年3月3日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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