お金の物語 2/10


いいでしょうか、このことが理解できたら次のお話をお聞き下さい。

 

ここで、すべての借り手側を便宜上一人の人間として、単純に銀行と借り手側としてだけ考えてみてみましょう。
わざわざこのように考えるのはお金も他の万物と同じように何処にでもあるもの、いつでも手に入るもの、という強烈な既成概念を取り除き、利息というものが、はたしてフェアーなものかアンフェアーなものかということだけに意識を集中させるためです。
もう一度繰り返しますが「お金は昔からいつでも何処にでもあるもの」という常識を一時取り外して下さい。

 

 もしあなたが、人類史上初めて銀行から1000万円を借りた人だとします、世の中にはまだ1円のお金も出回ってはいません。あなたが元金を受け取ったあと銀行家はこう言います、

 

「契約書に書いてある期日の日に利息を含めて1100万円を返して下さい、いいですね」 

 

しばらく考えたあと、あなたはこう聞き返しませんか

「その利息の100万円というのは何処にあるのですか?」 

 

そうです、実は元金の1000万円は銀行から出ていますが、先程から何度も繰り返しているように利息分の100万円は銀行からは1円たりとも出ていないのです。市場にはまだ最初に借りた1000万円しか出ていないのですからどんなに頑張って集めたとしても1000万円しか集まるはずがありません。なのにどうやって1100万円が返せるというのでしょうか?

 

ですから元金に利息分を含めて返済をするということは不可能な事なのです。現在の銀行の行員では分からないかもしれませんが、銀行家とよばれる人たちにはこの単純なカラクリが分からないはずがないのです。こんなことが法的には何ら問題はないというのです。
難解でややこしい計算が必要に見えるクイズの出題も、ちょっと発想を変えれば簡単に解けた問題のようなものです。

 
 それでは同じ内容です

これを10人の借り手と同時に同じ契約をしたとします、元金は1000万円×10人=1億円です。 利息は100万円×10人=1000万円です。

この内容でそれぞれが経済活動をして返済日を迎えたとしたらどうなるでしょう?

 

 また100人ならどうでしょう。

   次に1000人、万人、億人ならどうでしょう。

 

 

     では、それぞれの返済日を変えてみたらどうでしょう。

 

 

   次に、利率もそれぞれ変えてみたらどうでしょう。

 

 

  先読みすることを急がずに、どうかこの問題をご自分の頭でしっかり計算してみてください。

 

 

どうですか、

 

 答えはこうですね。

『それぞれの力量によって利息を含めて十分返済できる人がいる反面、必ず返済できない人が出てくる!!』
ということです、生き残れる人達がいる反面必ず生き残れない人達が出る事が最初から決定しているというのです。

 

 余談ですが、利息が出来るまでに大量の金貨とかお金がすでに出回っていたではないか、だからその余分なお金が利息の原資になるから問題ないと考える人もいるかもしれませんが、例えば、現在世界のGDPは約5000兆円です、この金額に5%の利息がつくとしたら20年で利息が5000兆円になります、10%なら10年で5000兆円の利息です元金と合わせると1京円です。
こう考えただけでも、パイの小さかった頃のお金の発行量などではとても利息の足しにはならないことが分かります。

 

弱肉強食とか、勝組負組だとか、自由経済なんだから多少犠牲者が出るのは仕方ないことだ。資本主義とはそういうものだ。 それが法律だと簡単に片付けることができるでしょうか。もしそうなら地球一家族なんて願うことすら無駄なことではないでしょうか。

 

お金ほど私たちの生活に、また生死禍福に直接深く関わっている物はありません、国民の為に作られている法律なのにどうしてこんなにもアンフェアーな法律になっているのでしょうか。

トランプのポーカーゲームでいうなら、親はカードを配る前にカードの絵柄を見ながら好きなカードを選んで配れる。というルールで対戦しているようなものです。こんなルールで楽しく愉快なゲームになるでしょうか。

 ですから、この利息を取るというシステム上ではどんなに一生懸命に働いたとしてもすべての人が元金に利息をつけて完済するということ自体が不可能だということなのです。 

 

 聖書にあった戒めは本当だったのです。

 

結局、銀行にとって一方的に有利な条件でしかありません。

私たちはすでにたくさんのお金が出回っている社会にいますし、実際利息を取る高利貸しという商売はコインや金貨が主流だった時代にはもう考案されていて、市場にはすでにお金が出回っていました。
ですからこのカラクリは一部の人達にしか分からなかったようですが、当然金貸し達には十分すぎるほどわかっていたことです。

 

 このようにして作られたワン貨幣システムだけが、大航海時代の植民地政策に乗り西洋文明と共に世界中に経済システムの基盤を築きました。
そして植民地政策がなくなった後も、この貨幣システムだけは地球規模となって現在もなお機能し続けているのです。

 

私たちは今もお金はいつでも何処にでもあるもの、働きさえすれば簡単に手に入れられるものという既成概念の中にいますのでローンを組むときに一抹の不安を感じながらもハンコを押してしまっているのです。

この、最初にハンコを押した人が何となく感じたであろう不安や心配が、それ以降すべての人の不安と心配になりました。
このように利息という詐欺的矛盾をはらんだまま死のマネーゲームは始まってしまったのです。

 

 世の中に出ているお金はすべて元金だけですからその中から元金+利息を持ってくるという事は、必ず返済できない人が出てくるということになってしまいました。
返済すべきお金の量よりも世の中に出回っているお金の量のほうが絶対に少ない! となったため、お金は宝石のような希少性を持つようになったのです
しかも返済すべきお金の総量は利息によってどんどん増えていくのに、出回っているお金の総量はどんどん銀行に回収されて少なくなっていくのです。

 

 そのためにどんな世界になったかというと、人々は元金しか出回っていない世の中からなんとか元金+利息分を稼ごうと先を争って死に物狂いで働かざるを得なくなり、凄まじいばかりの生存競争社会になってしまったのです

 

運良く自分のローンが完済できたとしても自分が銀行に返済した利息分のお金は、誰かが借りた元金なわけです。
会社員や公務員がもらう給料もやっぱり誰かが借りた元金なのですから、もし失業しようものなら大変なことになります。
そして、期日までに返済が難しいようなら、新たに銀行に担保を差し出したり保証人をたてたりして新しいローンを組んでもらうようになります。それができなくなった時もまた大変です。

これらの借金は様々に姿を変えながら最終的には国の借金(国債・・・故に赤字国債は増え続ける)になっていくのです。

(寓話「モモ」の中で時間泥棒と契約した人々が猛烈に働き出したことの意味は利息のため)

 

 このことは椅子取りゲームにたとえられます。
ゲームの参加者よりも常に椅子の数が足りないので、音楽が鳴り続けている中を人々は死に物狂いで踊り回っているのです。

かくして、音楽は止み、かつまた音楽は始まるのです。椅子を取れなくなった人たちの末路がどれだけ悲惨なものかは、歴史に聞くまでもありません。犯罪、自殺、離散、精神病、心中・・・

 

このシステムの中にある限り世の中から犯罪がなくなるということは絶対にありません!

 

この椅子を取りやすくするために、経済成長(去年のパイより今年のパイを大きくする)があり、不慣れな新規参加者(第三世界を取込む)を募ったり、自然を搾取したりしてきたのです。
この利息故に個人も企業も国家も含めて人間社会は苦海の海になっています。
昔のように生産力の乏しかった頃は食べること着ること住むことができない苦しみがありましたが、現在は100億の人類でも十分に養えるだけの科学力と生産力を手に入れたというのに、なんという悲劇的な現実なのでしょう。

 

人々は一生の間を 仕事仕事(奴隷労働)に明け暮れなくてはならなくなってしまったのです。
才能をいくら伸ばしたとしてもそれがお金に結びつかず家族を養えなかったとしたら、それはただの役立たずになってしまいます。これではいつまで経っても人間らしい生活などは望むすべがありません。

 

この利息を取るということが貨幣システム上の欠陥になっていますので、いくらお金(富)を生産しても、それは循環しないで必ずどこか強い所に滞ってしまうようになり、満たされた人(国)がある反面必ず満たされない人(国)ができてしまうのです。

 もう一つ、返済できずに破産した人は不動産なりの担保を銀行に差し出さなければなりません。

一方銀行が融資してくれたお金の担保は、破産した人が返済を約束したローンの契約書です。

すなわち銀行はローンの契約が結ばれたとき、その人の口座にその人が返済を約束した数字をチョチョンと打ち込んだだけなのです。

 

  じっくり考えてみて下さい、これが法律によって守られているのです。

 

 だからといって銀行が悪だと言っているのでは決してありません、銀行はこれから先もお金の流通体として人間社会になくてはならないものなのですから。今ここで問題にしているのは、銀行業務のことではなく現在の貨幣システムについてのことなのです。銀行もこのシステムによって運営されているのですから。

 

 2 信用創造
 
次は信用創造についてみてみましょう。

 

 

Posted by on 2012年2月10日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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