お金の物語 1/10


                            お金の物語

                                                (概略次世代経済システム考 文責:新子浩二 )

 お金はとても便利なもので、私たちにとってなくてはならないものです。
お金があれば、食べることも旅行にいくことも子供に高度な教育を身につけさせることもできます、人助けもできるし、自動車や家だって買えます。

 また、お金は富の蓄積を容易にしてくれます。富の蓄積とは物、万物をたくさんストックするということです。
しかし、穀物や野菜をいくら大量にストックしたからといってそれらはいずれ腐って価値が無くなってしまいます。
お金に代えておけば腐ることもありませんし大きな倉庫もいりません。銀行に預けておけば利子がついてお金が増えてくれます。

 

 また、お金は価値を表す目安としても便利です。すべてのものを金額に置き換えることによって価値の比較が容易に出来るようになり、論理的で合理的な思考を身につけることができます。
善人も悪人も、お金は喜んで受け取ってくれます。お金が無ければ裁判所も弁護士も助けてはくれません。

 

 しかし、こんなに便利なお金なのに、なぜ貨幣社会になった国には闘争や不幸が多いのでしょうか、20世紀に多くの国が貨幣社会に入ってきました。

アフリカでそれまで助けあいの共同生活をし、必要なものは物々交換をしながら、何千年も平和に暮らしていた部族が、近代的な貨幣社会に入った途端、それまでの平和は無くなってしまったのは何故でしょうか。

私たちの周りをみましても、犯罪の7、80%にお金が絡んでいるし、自殺の大きな原因にもなっています、お金にまつわる不幸の原因は一体何なのでしょうか、お金そのものが悪いのでしょうか。

 誰かは、それはお金ではなくお金の使い方の問題だというでしょう、結局は人間の価値観、倫理観の問題だというのではないでしょうか。
確かにそうです。  が、しかしそれにしても現在のお金の誘惑は、大きすぎはしないでしょうか。

結論からいうなら、それはお金そのものではなく、お金を運用しているシステムが悪いからです

 

  しかしお金のシステムといっても私たちは学校で詳しく習ったことも、システムに問題があるという事はおろか、そもそもお金のシステム自体もよくわかりません。

そこでしばらくの間、現在のお金が持っているシステムの問題点について見ていくことにしましょう。

 これからとり上げる問題は鉄道に喩えるなら汽車のスタイルや機能といった上部の話(経済理論の話)ではなく 私達が日常殆ど聞いたことのない線路という土台の部分の話(貨幣システムの話)であり、またお金が本来的に持っている社会的使命のお話です。
また、価値観のまったく異なる宗教とお金の統一という問題にもひとつの回答を与えるものです。

   少し長いお話になりますが、このお話を読まれるすべてのかたが、現在社会の背後にある特にお金にまつわる幸、不幸の真の原因を知ることによって 新しい希望の未来に向かって自身の心の中に新しい地球村、人類一家族の変革が芽生えてくることを願ってやみません。

 

 

 第一部 お金の問題点

  1 利息(利子)

 

 銀行にお金を預けておけば利子がつきます、銀行の利子だけで食べていければどんなに良いでしょうか。
羨ましい限りです、利息の常識として銀行にお金を預けても利息が付くし、銀行から借りても利息がつきます。
銀行は預かったお金に少ない利子をつけ、貸し出したお金により多くの利息をつけて、その利ザヤでもって経営されているというのが一般的な常識です。

 しかし、この利息が曲者なんですが、そのことについてみて行きましょう。
そもそも、お金はどうやって造られるのでしょうか。造幣局で印刷? じゃなくてその出処です。

お札には「銀行券」と書かれていますのでその発券元は銀行です。
では、いつどんな時に発行(発券)されるのか知っているでしょうか?
それは個人なり企業なり国なりが銀行からお金を借りた時なのです。

 

これが一番初めのお金(お札が世の中に流通する始まり)の出処でした。経済活動をするときに国や企業、個人が行うローン契約によってつくられたお金が経済活動をする人々の間を回るようになるわけです。

 ここで最も重要なことは、実は世の中にあるお金は「全額誰か(国や企業や人)の負債によって創られたお金」だということです。これに利息が付き続いているのです。

 

私達にとってこの簡単で常識的なことが、はたしてどんな結果をもたらしているのか なかなか理解出来ないところですのでこれから順序立ててお話いたします。

 まず、何故ローン契約(何らかの担保を銀行に差し出してお金を借りる行為)をしてまでお金を必要とするかといえばそれは お金はなんとでも交換できるとても便利なものだからです。

お金のなかった頃は欲しいもの必要なものがあった場合それを持っている人を探して自分がもっているものと交換交渉をしてきました。いわゆる物々交換というやつでこれには色々と不便で厄介なことが伴います。

それなら自分が持っている不動産とか信用の一部をあらかじめお金に変えておけば物やサービスの交換は自分が持っているお金でもっていつでも何とでも自由に行うことができる。となったわけです。
国の法律にも、何人も物やサービスの交換手段として支払うお金(紙や金属で作ったもの)の受け取りを拒否できない。と定めているのです。

 

そしてサラリーマンの人たちは勤め先から給料としてお金をもらい、商売人は物を売ったり買ったりしながら出回っているお金のやり取りをします。

銀行はお金をどんどん貸し出すことによって莫大な金額のお金が世の中を潤し私たちはその恩恵に浴している。ということになっているのです。

   もちろん銀行が出来る以前から、お金は流通していました。それらは主に金貨とかコインとかでした。
現在使われている紙幣がそれらにとって変わるようになったのには、次のような経緯があります。

ヨーロッパでは、近代に至るまでお金を貸して利息をとる行為は神のみ旨に反するということでキリスト教でもユダヤ教でも、聖書によって戒められていました。

 

(レビ記25章36 彼から利子も利息も取ってはならない)
(申命記23章19 兄弟に利息を取って貸してはならない。金銭の利息、食物の利息などすべて貸して利息のつく物の利息を取ってはならない)

ただユダヤ教の場合異邦人に関してはその限りにあらずとなっていました。
(申命記23章20 外国人には利息を取って貸してもよい)

 

しかし、いつの時代でも高利貸しはいました。

ちなみに、イスラム教では現在もなお利息をとることは禁止されていますのでイスラム教の銀行では利息はありません。(手数料とかはある)

近代になって両替商を営んでいた一部のユダヤ人や初期の銀行家(金貸し)達によって近代的な銀行業が始められたのでした。
聖書にもあるようにお金を扱う仕事は卑(いや)しいものとされていましたので迫害を受け仕事のないユダヤ人たちに両替商が多かったのです。
両替商の仕事は、おもに貴族が持っている自家製の金貨の管理です。
当時金貨の大きさや品質はまちまちでした、しかも各貴族が自分のコインに自分の家紋や刻印を入れていたので取引の後には新たに手にした金貨を溶かして自家の金貨に作り変える作業が必要だったのです。 

 

その仕事をしていたのが両替商でした。彼らは仕事柄大きく頑丈で警備の行き届いた金庫を持っていましたので、お金持ちたちはその金庫を借りたりしました。
両替商は金貨や宝石を預かり、預り書を渡しますので、その預り書を両替商にもっていけばいつでも金貨と交換できたのです。金貨での取引、預り書での取引が長らく併用されていきます。

 

 こうなると両替商が発行した預り書だけを交換すれば重い金貨を持ち運ぶ必要がなくなりました。

折から起こった産業革命により資金需要は爆発的に大きくなりこの時流に乗って両替商の発行する預り書は紙のお金、兌換紙幣(だかんしへい:いつでも金と交換出来る紙幣)へと変ってゆき様々な法的ルールを設けながら、また離合集散しながら銀行業へと成長していったのです。
これに伴い人々の価値観も宗教的なものから経済的なものへと移っていき利息をとってもそれをはるかに上回る利潤が両替商や銀行家たちを近代の国際金融資本家へと導いていったのです。

 

  ちなみに、お札の流通に最初に成功したのは、1694年設立のイングランド銀行だと言われています。
イングランド銀行は1725年から部分的に印刷した銀行券を発行しはじめます、後に銀行業に大きく関わるようになるのが1815年のワーテルローの戦いでイギリス国債を買占めて天文学的利益を上げるロスチャイルド家です、このときロスチャイルド家の一人勝ちによりそれまであった有名な名門貴族の殆どは破産したといわれています。

それで、銀行は貸出をするときは当然5%なり10%なりの利息をつけるわけですが、この利息分のお金は当然銀行からは出ません。えっ、と思うかもしれませんがすべての貸出金からは元金のお金しか出ていないのです。

 

この仕組みを正確に理解するということが非常に重要なのですが理解出来るようにするにはかなりの説明と欲心のない知恵が必要です。
もしこのことが知的にだけでなく心情的にも理解できたなら、あなたは貨幣システムに意図的に組み込まれている単純な最重要機密に触れることになるのですが、・・・

 

「あなたに現在お貸しするのはこの金額ですよー、あなたはしっかり稼いで返済日には利息を含めてこれだけ返してくださいね。元金より利息分が増えるんですよ、いいですね」 ということですね。
もし最初から借りたお金に利息分のお金もつけて貸してくれているとしたら、それは利息が0円ということです。

 

このとき誰しもこう思うでしょう、「銀行だってリスクを背負うわけだし給料だって払わないといけない、経費だってかかっているんだから利息をとることは商売として当然だ、悪くはない。それに借りたものにお礼をつけてお返しするのはむしろ倫理に叶っていることだ、うん」

 

そうなんです、そう思うことは特に倫理観の強い人にとっては至極当然のことなのです。が、今問題にしようとしているのは銀行の商売のことではなくて、ただ単純に利息というものの事です。

借りたものにつけるお礼は、数ある品物の中から選ぶことができます。結婚式に誰かに留袖を借りたとして、返す段になったらデパートに行って、お礼は昆布の佃煮にしょうか?洋菓子の詰め合わせにしようか?と数ある商品の中から選べます。が、ことお金に関してだけは銀行以外からの出処がどこにもありません、しかも日本なら円だけです。
ですから利息分のお金も、元金しか出まわっていない市場で、なんとか稼いできて元金に利息をつけて銀行に支払うということになります。

 

いいでしょうか、このことが理解できたら次のお話をお聞き下さい。

 

 

Posted by on 2012年2月9日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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