精誠を尽くして自ら行動するリーダーに



精誠を尽くして自ら行動するリーダーに

リーダー自身が行動しなければ

以前、独立訓読家庭教会を運営している時に、チャーチグロース理論を学びながら論文を書いて、清心大学の教会経営学講師の募集の際に提出したことがあります。
結局、講師には採用されませんでしたが、その時、私が書いた論文の内容が、現在、文亨進世界会長が語られている内容に当てはまっていたのです。亨進ニムは、「VIP」=「Victory(勝利)、Illumination(悟り)、Peace(平和)」といわれていますが、これは認識の「優先順位」を表しているのです。
統一思想の認識論でいうと、人間には心情(愛)を中心とした「自同的四位基台」と、目的を中心とした「発展的四位基台」があって、たとえば、私が今、誰かと話している状況というのは、私はその場で受け答えをしているので、私の自同的四位基台で受け答えをしているのです。

その後、相手と別れて、「あの時、こういったな」と思考をめぐらすのは、発展的四位基台なのです。発展的四位基台で、「こうしてみよう」と思考(知識)してから行動(経験)に移ります。
そうなると最終的に、「知識」と「経験」とどちらが主体かという話になってくるのです。統一思想では、それについて深く書かれていないのですが、お兄さんの顯進ニムは、「経験が主体だ」といわれています。
同じように亨進ニムのいわれる「勝利」も、結局、行動(経験)なのです。「勝利したことを悟る」というのは、経験を通じてみ言葉を復帰し、最終的にそれが自分にとって本当の知識となる、ということです。
「平和」というのは自同的四位基台で形成されます。自同的四位基台で形成されるのは、心情を中心とした、愛そうとする心の姿勢なのです。勝利してみ言葉を悟れば、「平和の心」といえる自分の自同的四位基台が成長するのです。この「勝利、悟り、平和」を繰り返し、螺旋状に大きくしていくことによって成長するのです。
これはもちろんリーダーに当てはまるのですが、最終的に、「リーダー自身が行動しなければならない」ということを、暗黙のうちにいっているのです。

顯進ニムも、「これまでの教会は、『知』、つまり『頭』のほうは実践してきたが、『行動』のほうはやってきていない」と、ずっといわれてきました。それを分かりやすく行動様式で表したのが、亨進ニムの「勝利、悟り、平和」だと思っています。
それで私は、「この方はすごい!」と思ったのです。亨進ニムのご思想はとても深いのです。

精誠を尽くすことで謙虚になれる

亨進ニムにとても感動して、「この方からいろいろ学びたい」と思いました。そのためには亨進ニムが7年間続けてこられた、心身一体のための「瞑想」を学びたいと思い、早朝3時からの瞑想に、どうしても参加したかったのです。麻浦教会にいらっしゃる時に始められたのですが、本部に行かれる前でないと機会がないと思い、「どうしても一度だけ参加させてほしい」と師母ニムにお願いして許可をいただきました。1回だけの参加でしたが、とてもすばらしい経験でした。
本部に移られてからも、亨進ニムから「参加してもいいですよ」といわれ、私も続けて心身一体の訓練をしたいと思っていたので、毎朝、3時から頑張りました。

もう一つ、感動したのが、天正宮で世界会長の就任式を行われた時に、「真のお父様のいわれる牧会の秘訣とは何か」ということについて、一つ目は「精誠を尽くすこと」、二つ目は「神様と父母様の愛を伝えること」、三つ目は「謙虚であること」と語られたのです。結局、これは「リーダーとは何か」ということだと思いますが、これが、私がどうしても解けなかった内容だったのです。
顯進ニムは「コアバリュー」ということをいわれて、「リーダーとマネージャーは違う」というビジネス的観点のみ言葉はあったのですが、亨進ニムはいとも簡単に、私が解けなかったことを一言でいってくださったので、とても驚いて、それだけでも屈服しました。この三つをよくぞ選ばれたと、本当に感動したのです。

私の中には、「精誠を尽くす」という観点があまりありませんでした。ビジネス的な発想が強かったので、「精誠」というのはあまり考えに入ってなかったのです。やはり宗教が中心とならなくてはいけないと深く学ばされました。

最終的に亨進ニムは、「精誠を尽くせば謙虚になる」といわれているのですが、私はそれが最初あまり理解できませんでした。毎朝3時から精誠を尽くしていると、「私はやっているぞ」と傲慢になってしまうのです。途中から参加しなくなった食口に、「どうして来ないの?」と訊くと、「3時の精誠に参加している人たちは傲慢だから」というのです。その言葉を聞いて、「そうだよな。私も参加していることで傲慢になっているよなあ」と思いました。しかし、その後、無心で数カ月間続ける中で、悟る内容がありました。
それは何かというと、結局、精誠を尽くすと導かれるのです。要するに、「自分の力ではない」のです。それがポイントだと思います。精誠を尽くすと、「自分がやっている」と思わなくなるのです。自分の実力ではなく、神様が導いてくださるのだと気づくようになる。それで、傲慢にならなくなるのです。

(月刊『本郷人』より)
http://cafe.daum.net/chdmbu

Posted by on 2011年12月31日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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