『東方のちいさな国』 世宗大王


鈴木喜久子さんより心情文化勉強会にて掲載されたものなどのコラムを寄稿していただきました。

『東方のちいさな国』 世宗大王

「神様、悟りを与えてください。そして文章を著わす能力を授けてください!」

こう祈りながら、つたない者が文章を書かせていただいています。 そして今回が、朝鮮時代第4代目王世宗(セジョン:1397~1450)について書くつもりでいました。 お金シリーズの最後です(一万ウオン札)。 こちら(韓国)では去年の年末から『大王世宗』を土日の週末ドラマで放映中です。 年末の大統領選と重ねてリーダシップ、指導者像云々と話題にもなってきたドラマで、そのおかげもあって世宗王に関する書籍物がたくさん巷にでまわっています。 ドラマも一度も欠かさずに見続けているし、本もそれなりに読んだし...ということで自分としては簡単に書き著わせるだろうと心のある片隅で楽観視していました。

ところが、すばらしい業績とその人格、人となりを綴れば確かに数ペ-ジを満たすことはできるのですが、このような立派な王様が生まれる背景とか動機を考えた時、私は自分の能力の限界にぶちあたってしまってにっちもさっちもいかない膠着状態に陥ってしまいました。 悟りと能力を神様に頼んできたものの...唸り声が洩れるだけです。 お父様が夢にでてこられて教えてくださらないだろうか、神の啓示が降りないだろうかなどと期待もしてみましたけれど、まだまだ精誠が足りないのか無応答です。

背景と動機がある程度理解できなければ、この王様の理解は難しい!

また、あまりにもたくさんの葛藤と、あまりにもたくさんの悲しみを越えての王様の生涯が、ついお父様とだぶったりして、位置づけするのに私自身のなかでも少しの混乱がありました。 勿論,お父様は天宙の真の父母様です。 が、1000年に1度顕れるかどうかといわれるこの王様を絶賛すると、なにかお父様の影が薄くなってしまうようで、一人で葛藤していました。

そんななかで啓示のごとくに目に入ってきたのが『霊界の実相と地上生活』のなかの他ならぬ世宗王自身のメッセージでした。 

『小さな小さな国、韓国から新しいともしびがさしてくるとは...。 ああ、何と喜びであり、光栄なことかな。 私、世宗が、この知らせにどうして感激せずにいられるでしょうか。 この感激をどうしてすべて言い表すことができるでしょうか。 人間が生きながら自らの意思を文章として表示できる文字を、私は地上でつくらせましたが(つくりましたが)、それが,今後の世界はもちろん、天宙の母国語になるというのです。 これはどれほど衝撃的なことでしょうか。

今,私は、私自身の功績に対する喜びよりも、王の王が顕現された国に訓民正音を創製した本質的意味を悟ったことに,新しい喜びの極致を感じています。 これは神の恩恵であり、真の祝福です。 神様、ありがとうがざいます。 神様は、私たちの父母であられました。 それにもかかわらず、人類はこれを知らないまま、悠久の歳月をむなしく送ってきました。 神様は父母として、これまでどれほど胸を痛めてこられたでしょうか。 訓民正音の中にあるサタンと悪魔的要素だけは取り除きたいと思います。 神様、悠久の歳月を待ち続けてこられたのちに、文鮮明先生を神様の代身者として送られるまで、どれほど苛立つ思いをしていらっしゃいましたか。 神様、今から私たちは、真の御父母様であられる文鮮明先生に侍り、この民族と世界人類の前に、東方の真理と愛のともしびを高く掲げ、その栄光を永遠に賛美していきます。

 文鮮明先生、真の御父母様、お疲れ様でした。 これまでの真の御父母様の苦難と受難、そして獄中の苦しみの生活、それらの痛恨を私たちがすべて解いてさしあげます。 韓民族よ、世界の人々よ、神様の代身者、文鮮明先生が全人類の救世主として、メシヤとして、真の父母として顕現されました。 これは確かな事実です。 誰でも、これを忘れ去る人は、時代の大潮流に押し流されてしまうでしょう。 全人類よ、私たちは、同じ兄弟姉妹として、東方の国に顕現された文鮮明先生、真の御父母様に侍り、共に世界平和の具現と神の祖国建設に精進しましょう。 私たちがみな神様の真の子女となることを、私は懇切に願います。』(世宗2003年11月20日)

『小さな小さな国、韓国(本当は朝鮮といった方がいいかもしれません)から...』という表現のなかには王様の国をいとおしく思った情念が、よく表れていると思います。 高麗時代、それ以前の三国時代(高句麗、百済、新羅)、そして更にそれよりもっと以前から外敵からの侵入が絶えなかった朝鮮という国。 すぐ前の国、太祖王建(ワアングぉん)の興した国高麗も王族、貴族、武人.僧侶の頽廃が限度を過ぎると、蒙古からの侵略と倭冦の出没でほとんど瀕死状態に陥っていきます。 こういう中で起き上がってきた指導層が新進士大夫といわれる人々の群れです。 儒教の教養と政治的実力を備えたこの人々が、瀕死状態の高麗 を復興させるのに取った方向性が二つに分かれています。 高麗をそのままのこしながら刷新してゆこうというグループと、新しく国を興そうというグループです。

『この身が死んで、また死んで100回死んで白骨になり塵土に成り果てたとしても、王に向かうこの思い、魂の一片丹心、どうして変化し無くなり得ようか』と丹心歌を歌った鄭夢周は高麗王朝を残しながら刷新していこうというグル─プの指導者でした。 新しい国を創ろうとするもう一つのグループの指導者李成桂(イソンゲ)と妥協せず、その意中を『丹心歌』で表わし殺されていきます。

ところで、 いわゆるクーデターを起した朝鮮王朝一代王、太祖.李成桂の霊界メッセ─ジは、というと『私、太祖.李成桂は、神様を父母として侍り、神的次元を越えて、私の肉親の父母以上に侍り信じることを誓いなから、私の所見を伝えようと思います。

韓国民族は神様が選ばれた民族だということを、私は、朝鮮建国初期から感知していました。 神様が数多くの国の中から韓国民族を選らばれ、その中に文鮮明先生を送ってくださったことに対して、限りなく感謝します。 また、一時、韓国民族の指導者として王位に就くことができた光栄を感謝します。......』

韓国民族が神様が選んだ民族だとその心の深いところで感知し、建国にのぞんだんだ。 と言うことが、このメッセージを通して始めて分かり、私としては本当に心がすっきりしました。

世宗王が顕れる背景がここにあったのかと...。 事実、朝鮮建国にあたってはけっこうな無理がともないました。 嫌気がさすほどの粛清と、明の国に対する卑屈なばかりの事大主義です。

祖父李成桂と父親李芳遠の姿を目の当りにしてきた世宗、祖父と父親の姿が幼い日の世宗の目にどのように映ったのか、その本当のことはわかりませんが、王位継承がほとんど不可能に近い三男という立場で王位に就いてゆく過程は並々ならぬものがあります。

若き日に、『趣味の生活を楽みなさい』と両親に勧められています。 王位に就くことのない長男以外の王子たちは、政治への介入が不可能なことになっていました。 政治には微塵の関心も持たずに趣味に生きることが、生涯を無事に無難に終えていく唯一の安全策だったわけです。 へたに政治に関心を持ち、それがどこかに漏れてしまう日には、王位に欲心を抱く危険人物という烙印を押され謀反罪、反逆罪の罪名で処分されてしまうことが目にみえているからです。

色々な事情で長男が王位継承者の立場から外されていった日、父親であり朝鮮の三代王である太宗李芳遠は慟哭したとあります。 兄に代って王位に就いてゆく三男の世宗は母親からもよく思われません。 ましては、建国初期に必ず長男が王位に就くという伝統を立ててゆきたいとある面命懸けだった両親です。 親だけではない、そのほかの官僚たちも黙ってじっとしているわけがありません。 凄まじい葛藤を乗り越えての王位継承でした。 物事の理をわきまえ、ましては孝行者で、親の気持を誰よりもよく察知できる世宗が、しかも驚くべきことに王になるべく準備ができているわけです。 準備がまた普通の準備ではありません。 先代王の治世の欠点を完璧にカバーし、太平盛大と謳われる時代を築きあげてゆくのですから、彼(?)のなかに王になろうとする相当に強い動機、国をよく治めてゆきたいという激しく強い動機がなかったはずがありません。

幼い世宗王の記録はないそうです。 王になってからの記録は、業績が多いだけに莫大な分量で、正式な朝鮮時代の記録書である『朝鮮王朝実録』のなかの『世宗王朝実録』だけでも400ページの本にして45册分はあるのだそうですが。

『トロイの遺蹟は必ずある!』と、幼い日に確信し、必ず遺蹟を堀当てることを夢み、当時だれも信じず目もくれなかったトロイ戦争の実際とトロイの国の実在を証明したシュリ─マン。 彼の遺蹟発掘を成功に導いたものが他ならない、この幼い日の確信と夢だったのはあまりにも有名です。

世宗にもきっとそんな幼い日があったに違いない。 という私の思いを知ってか、ドラマ『大王世宗』の中で強い感動を与えてくれた一場面がありました。

自分勝手に家を抜け出し、宮廷に戻ってくるなり『申聞皷』(王宮の門に吊し、民衆が上訴する時にうち鳴らした太鼓で、父親の太宗の時代に設置されたもの)を叩き一騒動が起きます。

民衆を察する為の外出だったし、せっかく設置したお父さんの『申聞鼓』にもほこりが積もっていました...という主旨の問題発言をしてしまうわけです。 問題発言の波及の余地への対処と個人的な感情とが混じって激怒する父親に追い出されて、都城が一目でみわたせる、小高い丘の巨木の横に立って、自分の師匠に語りかける場面です。

『ここから、こうやって見える都城は本当に大きくて広いですね。 この世の中というものは、これより数十、いえ数百倍もっと広いものなんでしょうね。 それなのに先生、僕の器は..私の人となりというのはどれくらいでしょうか? これくらいでしょうか?(手のひらほど) いえ、このくらい?(二の腕ほどをさしながら) このくらいはなければならないんでしょうね?(両腕を広げてみせる)』

『先生、この世の中には(一般民衆のなかには)ですね、本の中で出会った徳の厚い人々なんていませんでした。 皆、ずうずうしくて、欲が深くて、厚かましい人々だけでした。 しかし、彼らが醜いと思えません.. 憎くも醜くもないのです。 先生、..彼らが私とあまりにも似ていて、このできそこないの私とよく似ていて...。 一度でいいから、たったの一度でいいからお父さんから褒めてもらいたかったのです。 政治はソンビの義務で行うもの、この世をよく知って、民衆をよく察してあげ,彼らを助けてあげるんだと申聞皷を打ったこと、みんな本当は、お父さんの関心をひきたくてしたことでした。 本心ではありませんでした。 先生。

なぜか、彼らも違うところがないようにみえました。 (彼らも)私のように一度も、たったの一度も関心とか、温かい心配りといったものを受けたことがなく...それであのようになってしまったみたいで、彼らを疎むことができません。 しかし、これからは絶対に彼らに心をかけてはいけないのでしょう。 そんなことをしたらまた、誰かを失ってしまうことになるのですから(世宗のお供でついていった人が、罪を問われて拷問にかけられた末、死んでしまっています)』

『辛い道をいかれるのですね。 その心を生涯つらぬこうとすれば、本当に茨の道を行かれなければならないのですから。 そして私もまたつらくならざるをえませんね。 そうやって身もだえしながら成長してゆかれる王子さまを、おそばで見守ってゆかなければいけないのですから。』

『先生...』(本文は"師匠様"です)

『足りない者ですが構わないでしょうか。 この不足者でも構わないのでしたら...これからも王子さまを守っていきたいとおもっています。』

もちろんドラマです。 しかし、なぜか上の場面と似たようなことが必ずあったんだろうなあという気がするのです。 また、人間としての価値にも目覚められずに生きる民に対する世宗王の慈愛は、やがてハングル創製の意志と実践につながってゆきます。

 王位に就いてから(正確には、上王としてたっていた父親が亡くなってから)の世宗の采配のふりかたは、まさに天才的です。 適材適所の人材登用は身分の壁さえも乗り越えようとしました。

『小さな、小さな国』に、国としての品格、度量、内容をつける為に王様は心血をふりしぼるます。 そしてその過程のなかで先代王である祖父と父親が犯した(?)建国時の無理、葛藤をみごとに解消してゆきます。 嫌気のさすほどの粛清、というのは朝鮮王朝を通してよくみられることではあるのですが(このことについては、またのち説明する機会をもとうと思っています)、世宗王の時代、死刑というのは一度、ソウルの町がひどい火事にみまわられたことがありましたが、この時の放火犯に対して下されたものです。 粛清にあたるものは一度も行われませんでした。 お父さんの代では、建国の功臣たちが頭を並べています。 頭をもたげてくる功臣たちをことごとく粛清したのが太宗こと世宗のお父さんでした。 皆おなじ新進士丈夫出身という立場から、強い王権を導きだすための苦策だったともいえると思います。

 下克上とかクーデターというものが、もともと体質的に合っていないのがこちらの人々です。 『大義名分』が絶対的に必要です。 『元』(蒙古)にほとんど従属していた高麗末期でしたが、ちょうど新しく国を建てようとするときに『明』の国が興ります。 『明』を討って『元』を守ろうとする高麗旧勢力に対して、『明』の保護を受けて新しい国を建てたのが『朝鮮国』の始まりでした。 『明』をバックにし、『大義名分』を『明』に置き、『事大主義』が本格的に始められていきます。(こういうメカニズムは日本にいてはとても理解しにくいことだと思えます)韓国の時代ものドラマを見ながら、朝鮮時代には『万歳』といえずに『千歳』を唱えていることに気付いている人は以外に少ないのではないかと思います。 『明』の国が『万』を使うのならば、『朝鮮』は臣下の道理を立てて『万』ならぬ『千』でいく、という意味です。

(『高句麗』の時代に、かの大国『隨』、『唐』をして恐怖におののかせた国の面影はすっかり消えてしまいます)

内外ともに厳しい環境での国づくりです。

実際、韓国内での評価では、世宗の時代も卑屈なほどの事大主義をとったと言われたりしますが、風前の灯火のよう国力をしては、外との妥協はある面しかたのないことだと考えられます。 それよりも、国内を充実させることに注いだ王様の情熱がすばらしいです。 その一つ一つの業績をたどると、ああ、これは愛情なんだろうなあと感じられてきます。 事大主義を装って外からの葛藤を避け時間をかせがながら、内を充実させること、朝鮮をより朝鮮らしくすることを通して、どこの国にも負けない立派な国にしてゆきたかったのではないかと思います。

『集賢殿』をつくり、優秀な人材を養成することから始められていく世宗の治世は、今考えてみると、王様の頭の中にはある程度の青写真ができていて、それをなせる人材を育てたり、あるいは探したりしながら着々と進められていきます。 構想理想をなすための、能力のある人材であれば身分も眼中になかったのが世宗でした。 もちろん、まわりからの猛烈な反対を受けましたが....。

印刷所を作り、活字を製造し、たくさんの書物を発行します。 中国からのより優れた内容の本を印刷して、皆で読めるようにする場合もあるし、それらを参考にしながら、やがては朝鮮固有の書物を次々に発行するようになります。 農業、医学、天文学、歴史編纂、音楽、軍事、租税法、国法に至るまで、全て民衆にとっても有益なものになるようにと。 (中国のものをそのまま使ってもよいのではないかと進言する人々を説得しながら)

農業に関しては『農作直説』を著わさせ、何月には何をするべき云々..を細かく指示し、農作業をするに於いて失敗がないようにします。 その時も王宮のなかの庭園に田んぼを作って自ら試し、奨励しますが、干ばつ、洪水と初期のころは本当にたいへんだったこの時代の生産高も見る見る上がっていきます。

中国の薬草では、値段も高いし一般の人々は手がだせない。 そればかりか産まれた所の物が体質にも合い効果があるものだと、当代一の医学者に本を著すようにします。 中国の薬草ではなく、朝鮮でとれる薬草で病気を治せるようにと。

医学の一般大衆化を目指したものですが、農家にとって大切な牛や馬など家畜の病気と治療にまで及んでいるそうです。

中国からの時間は朝鮮には合わないと、自国に合わせた時計をつくらせます。 時間を知らせる十二支の人形が飛び出す、農民を考慮した時計を、王宮にはもちろんですが、農民たちが見ることのできる場所にも設置します。

たくさんの業績の中でも特に、まわりからの猛反対を受け、またほとんど最後の業績となったものがハングルこと『訓民正音』です。 漢字は中国のもの、そして難しい。 話ことばのように表現できる、朝鮮固有の文字。 『我が国のことばは、中国のことばとは違い、漢字とはあまり通じない。 それで愚かな人々が、何か訴えようとしてもその訴えがうまく伝わらないことがほとんどである。 私がこのことを非常に気の毒に思いここに新たに28の文字を創った、簡単に覚え日毎に書き慣れていくことを願うしだいである』

『無知』がどれほど人を不幸にしているか、知っていた王様の全身全霊をかけての国民へのプレゼントでした。 ほとんど目が見えない状態、通風の痛み、背中のおできに煩わされながら、執念でつくりあげていきました。 そんな王様の心中を知ってか知らずか、無視したり反対したりする臣下の数は減りません。

あんまり反対する臣下に怒って罷免しますが、実は3年間その席をうめずに戻ってくるのを待っている王様でもありました。

霊界からのメッセージでは『...訓民正音の中にあるサタンと悪魔的要素だけは取り除きたいと思います...』とあり、それが一体なんなのか? わかりませんが、そのようなことまで考えるのかと驚きました。

『小さな小さな国、』風前の灯火のような国を『神様が選ばれた民族だということを、朝鮮建国初期から感知していた』祖父の思いを引き継いで、立派に『東方の国』を建てていかれた王様の背後に、やはり神の息遣いを感じざるをえません。 他でもない、遠い(近い?)将来メシアを迎えてゆかなければならない『国』を建てるため。

また、『私たちがみな神様の真の子女になることを、私は懇切に願います。』ということばの中に、愛した民が神様の真の子女になることを願う王様の変らない心と、天への孝行心をかいまみるようでした。

鈴木喜久子

Posted by on 2011年11月1日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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