『精誠の生活』 李栗谷(イユルゴク1536~1584)先生


鈴木喜久子さんより心情文化勉強会にて掲載されたものなどのコラムを寄稿していただきました。

『精誠の生活』 李栗谷(イユルゴク1536~1584)先生

「ソヵレ、チュニョ、チョ厶チャ、トリ、サレ………」「先生、韓国語で話してくださーい。」「……………..。」

「これ、みんな韓国語なんだけど…..、日帝時代に建築用語にたくさんの日本語が入ってきて…..自分の国のことばなのにわからなくなってしまっているんですよ。」

なんだか身につまさせられるこの会話の行き交う現場は、実は韓国の伝統建築について学ぶセミナー会場でした。 焼けてしまった国宝1号の南大門。 南大門のあの屋根の中(下)の複雑に組みこまれた木材はちょうどたき火をたきつける時、空気の調整のあんばいをよくするためにたきぎを組み込むような、同じ役割をしていたということで、国民の目の前であれよあれよという間に焼けはててしまった、そのわけならぬわけも説明してくれていました。

講師の先生が説明していたのはその屋根の部分の名称です。 韓国に来たばかりの頃、むかしながらの韓国式家屋の家並みの、その波うつような屋根の曲線に魅了されて、高台にあがっては屋根のうねりに見とれていました。 朝鮮の民芸にとりこになった日本人の話がよくありますが、審美眼があるわけでもないわたしのような者でも、その家屋のうねりにうっとり見とれているだけで幸せな気分になっていました。

「ハンオク(韓屋)の屋根のそり具合いというのは夏には陽射しが入りにくく、冬には入りやすくなっているんですよ。」という説明にそうなのかと漠然と頭のなかにはいっていて数年。 見た時に安定感があり、かといって軽く見えるわけでもなく…、目の錯視現象まで計算して設計された屋根のそり具合いは、実は人が石を投げそれを犬が拾いに行くのに、犬が石を見ながら追いかけていくときにつくる放物線の曲線なんだそうです。 そしてその曲線をだせるようになれば一人前の宮大工です。 ただ、この曲線が、確かに設計図もあり技術もあるのですが、机上の計算だけでは絶対にできないのだそうです。 きっとどの国もそうなんだとは思いますが、精誠がなければ曲線が現われないのだそうです。

「イタリアの有名な彫刻家がウリナラ(私たちの国)に来て驚いたんですよ。 あの国の彫刻はみな大理石です。 大理石はいいですよ、めがつまっていて欠けたりしません。 うちは石は豊富ですが花崗岩です。 これはめがあります。 よく欠けるんですよ。 それで仏像を造っているものだからびっくりしますよ。 慶州の石屈庵の仏像も彫りかけて欠けて、近くに埋めてあるのを見ましたよ。 目に見えない肌目があるんですが、それが見える人がいるわけですよ。

精誠です。これがなければ何もできないようになっているのがウリナラです。」

ものに対してこれだけ精誠を強調する国が、人に対してそれ以上のものを顕さないはずがありません。

 今回は5000ウオン札のお話、李栗谷(イユルゴク1536~1584)先生です。

『九度壮元(首席)公』というニックネームがつけられたのは、他ならぬ科挙試験に9回トップ合格をしたからでした。 政治家であり儒学者でもあり、朝鮮時代きってのエリート中のエリートでした。 「なーんだ、親子で偉人なんじゃん。 お母さんも偉かったんだ!」遅まきで韓国の偉人伝を読んでいた末っ子の息子が、すばらしい発見でもしたように喜んで叫びました。

偉人の背後には必ず優秀な母親がついているものですが、母と子で別々に偉人伝に伝えられるというのは息子の驚きに匹敵するように、確かにめずらしいことかもしれません。 良妻賢母は基本ですが、学問もあり芸術に優れ教育(家庭でですが….)をよくした女性です。 この家庭の一連の伝記を読んでいると,代を重ねて登場するある場面があります。 申師任堂のお父さんが危篤状態の時、父親を娘に任せてお母さんが先祖のお墓の前に行って祈るのです。 祈り終えると,女性の自害(自決?)用の銀粧刀を取り出して,中指のある部分を切って血を流すのです。 精誠の証しです、しかしこれでも足りないならば命をささげます。 …………お墓の前で気を失っている間にお父さんの病状は好転してゆきます。

栗谷が5才(かぞえ歳)の時です。 母親の師任堂がひどく病んで床に就いてしまいます。 家の人たちは医者を呼んだり薬を煎じたりで忙しく動きまわっていました。 夕方やっと師任堂が気がついて回りを見回すと栗谷が見当たりません。 驚いて探しまわっていると家の敷地の一番奥にある祠堂にはいって,先祖の位牌の前で祈っている子どもがいます。 回りも暗くなってきていることだから家の中にはいりましょう。 と、お手伝いさんが促しても言うことをききません。 「お母さんがよくならない限り,僕はここを一歩も動かないよ。」 床から起き上がった母親の姿を見て初めて祠堂から出てくる栗谷でした

11才では父親が倒れます。 やはり先祖に祈り,今度はそれだけでなく腕を切って血を流しそれを父親に飲ませます。 回復してゆくなかで白髭のおじいさんが現われ栗谷の名前を'イ'(王という字に耳が横についている漢字で、貴いという意味があるそうです。)に変えなさいと言われます。

16才で最高に慕っていた母親申師任堂を亡くしますが、父親とお兄さんと共にいわゆる出張中でのできごとでした。 自分が祈ったらお母さんを生かせたかもしれないと思うと、たまらない後悔が心を押しつぶします。 3年間

実は栗谷というのは号で、'イ'という名前に変わる前は現龍でした。 龍の夢を見て生まれてきたからです。 '栗の木の伝説'がありますが,色々な経由は省略して、とにかく幼い現龍のことを見る人が短命だというのです。 生かす道は一つ、栗の木を一千本植えることだといわれます。 話によっては父親が一人で植えなければいけないとか、日にちの制約があったりしています。 そして3年後にそれらがきちんと育っていなければいけません。 3年後にあるお坊さんが訪ねて来て栗の木を数えますが、1本が足りません。 何度数えても足りないと、父親は慌てて回りを探しまわります。 '私も栗の木'という名前の栗の木にとてもよく似た木が横にあって千本にしてもらえた。 とか、探し回って芽のでかかっている栗をみつけて千本と認められた。 等々。 お父さんの最後の精誠が千本目を見つけていきますし、最後の最後まで気を抜くことができないのが精誠なんだと改めて学ぶ思いです。 実話かという点では'?'ですが、よくいい伝えられている話です。

栗谷先生の生涯を語ろうとすると、とても難しいです。 真理を探求してそのごとくに生きようとした人々です。 (人々というのは、前回の李退渓先生もいっしょなので…..)天の心、天の理本心に従って生きていくための、学問、修養、実践の弛まない努力の生活です。

政治に携わっているときは、国民が豊かにならなければ国の未来がないと訴え、甚だしくは貧しい村を訪ねて『土亭秘訣』という易学まで導入して村人たちの生活の向上につくします。

母親をなくして継母が入ってきますが、昼間からお酒を飲んでいるような人です。 初めのうちはお兄さんたちとよく喧嘩をしていて、家の雰囲気が全く変わってしまい、心の晴れない日々をおくります。奥さんは元々胸を患っている女性で病弱でした。 こんな環境のなかでも継母にお酒をついであげたりして、その心をほぐすための努力を怠りませんでした。 亡くなったお母さんの為にも元々の円満だった取り戻したかったのかもしれません。 奥さんも体は弱くても、立派な姑の後を継いでよく家庭を守りました。 奥さんの実家で、高い官職に就きながら、自分の家一軒も持っていないのを気の毒(?)に思い家を買ってくれても、それを売って兄弟に均等に分てしまいました。 ある時期は100人の親族が一緒に暮したりもしました。 彼の幼い頃からの夢だったのです。

日本が攻めてくることをはっきりと予言して、10万の軍隊を整備することを朝廷に何度も進言しますが、その度に却下され、党派争いにいつも気を奪われている王様と朝廷に失望して、切ない思いを抱きながら下野してゆきます。

栗谷先生が亡くなって8年後に任辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)が始まります。 釜山から漢城(ソウル)に向かって日本軍が上がってきているという情報に、王も朝廷も驚き恐れ都から江華島(仁川空港の近く)に避難しますが、この途中花石亭という栗谷先生家門代々愛用してきたあずまやの前を過ぎる時、真っ暗な夜のとばりのなかを、栗谷先生か白い灯りをもって道案内をされたという逸話は有名です。

儒教を国教とした朝鮮時代に、過度な党派争いという大きな副作用(?)もありましたが、優れた学者、思想をだしたことも事実です。

『大学』の中に’八條目’というのがあるのだそうです。 “まず物事をよく見つめ見極め、よく知ることによって心を明るくし、明るくなった心で正しく志を立て、その志をもって行動(体を主管して)し、家庭を治め、国を治める”

『その昔、”明徳(天賦の明るい徳)を天下に明かそうとする者は、まず、その国を治め、その国を治めようとする者は家庭を正し、家庭を正そうとする者はその体を磨き、体を磨く者はその心を正しくし、心を正しくしようとする者は先に志を誠実にしなければならず、誠なる志は知識の極にいたらなければいけない。 知識の極に至ろうとすれば、事物の理知に通じなければいけない。』

特に問題になるのが、この事物に通じ、心を明るくし正しい志を立てること、その中でも心を明るくし理に通じることがとても重要になってきます。 天の理性に通じようとすると、白然万物に働く理と、人間に対するものが違います。 入間が白然万物より優位にあることはわかるのだけれど、簡単ではありません。

人の心を分て考えるのですが、天の理を求める本姓、仁、義、禮、智を四端といい、やたらに発生する感情を七つに区分します。 この七つの惑情には善悪がないけれど、これを一体どうやって治めていくか?

四つの徳目,四端’理’と感情(七情)のもととしての’気’。 この’理’と’気’は一元なのか、二元なのか。 『理気一元論』と 「理気二元論』です。 退渓先生は心を修養する立場で考え、栗谷先生はどちらかというと天才的な頭で考えたという印象をもちます。

神の心情と入間の堕落という事実がわからないため、決定打を打つことができなかったのだと思います。

心の修養を最後までやめられなかった李退渓先生は晩年、仏教(仏教は異端だと結構厳しく批到しながらも、行動はおおらかだったのかお坊さんとも親しくしていました)の『心経』に心酔し毎朝夜明け前に起床し、『心経』を讀んで一日をはじめたそうです。

これ以上の精誠でもって『平和訓経』の訓読精誠を尽くさなければと決意させられました。

鈴木喜久子

Posted by on 2011年10月25日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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