<不滅の李舜臣> -後編-


鈴木喜久子さんより心情文化勉強会にて掲載されたものなどのコラムを寄稿していただきましたので、掲載していきます。

<不滅の李舜臣> -後編- 鈴木喜久子

李舜臣将軍の生涯で強烈なのは、王と朝廷との葛藤です。 王様の度量では計りきれない将軍の度量。 その差から生まれる様々な誤解、曲解そして(嫉妬の為に相当苦しめられます。 加藤清正の首をとる)いい機会を作ってあげるという日本の計賂に、王様と朝延の多くの大臣たちが同調し、李舜臣将軍を出陣させようとします。

しかし、将軍は謀反活動もさせているので、日本の計略を見破っていて出陣しませんでした。 それに加えて、元均という李舜臣将軍をライバル視し、ねたんでいる水軍の将軍が、出陣しなかったことに憤っている王様の怒りに油を注ぐように、うその報告書を送ります。
李舜臣は自分の功に溺れ、王を無視した言行、はばかることなし』といった内容です。 その報告文を全くうのみにした王は、現揚の状況を知る由もないのに、無理な戦闘に出陣命令を下します。

うその報告文を送った元均将軍、その他の将軍も『王命』の為出陣しますが、今度も李舜臣将軍は、出陣しません。 負けるのが火を見るより明らかだからです。 惨敗でした。 将軍たちも皆戦死し、船も人もたくさん失いました。

しかし、王にとって間題なのは、王命を無視されたことです。 戦死した将軍たちを必要以上に惜しみ、泣き… そして王命を無視した絶対に許すことのできない李舜臣将軍を『謀反罪』の重罪人として、漢陽(ソウル)まで押送するように命じます。 屈辱的な王の詰間と骨も砕く拷問。 王の情けで、死だけは免れさせてやるといって外に放り出されます。

戦争は終わっていないので生きなければいけません。 ひっそり暮らしているところに王命がかかります。 白衣将軍(官職のない立堤で戦い、戦功を立てた場合将軍に復帰できる)として、急きょ攻めてきている日本軍に対処せよということです。
先の釜山での戦いで、戦船もほとんど失われ、人もおらず、何の収拾もされていない水軍の陣営。 やっと集めた13隻の船で戦わなければならないし、復帰のうわさを聞いてもどってきた兵士たちの数も満足のいくものではありません。

しかし、今度は出陣するというのです。 王命を下しておきながらも、王も朝廷もびっくりです。 無謀な戦いをして、王と朝廷に腹いせをしようとしている! と大騒ぎして今度は止めに入ります。 戦争で大切なのが、軍事米です。 兵士たちを食べさせなければ戦うことができません。

実は、惨敗した釜山沖での戦いの時、元均将軍に軍事米の調達を頼まれながら、李舜臣将軍はそれを断っているのですが、みすみす米を海に沈められなかったのですね。 とっておいた軍事米を有用に使いながら『明梁海戦』を戦いきります。

13隻の船で33隻の日本船を沈没させた、世界の海戦の中でも類例がないと評価されている戦いです。 ギリギリの技術と訓練、一瞬のタイミングのずれも逃せないという作戦を立てます。 潮の流れ、干満の時間を十分に利用した作戦で、満ちている時間帯に、敵の船を上手に誘引し、引き入れておいて、潮が干いていくのに気づいて敵の船が出ていこうとするちょうど具合のいい所に、準備しておいた鎖をピンと張って、(日本船が入って行く時はたるんでいて気づかないようにしておいて)この鎖にかかって、船が沈没するというものです。

中央からの一切の援助も関心もない中、伝染病が流行ればその対策を打ち、経済活動として塩田を開き、戦火の中にありながらも(陸の戦いもあった)田畑を開いたり、(中央の報告しながら)また、漁民の船か敵のスパイ船か見分けるため登録制と許可証(札)を作り、水上を護衛してあげながら、税金のようなものをお礼として受け取る(水軍なのでお互いのために良いので)等。

又イカ釣り船の見張りをしてイカをもらって干したり、塩づけにして保存食の確保。 魚も同様に。

わかめの干したものが戦争中の兵士の食糧になっている時もあります。 柿が実ると何千個を干柿にしたり… 。 ワラは上手に編んで屋根にかけて保湿用、敵船を火攻の時にはよく燃える触媒用として… 。 優れた技術や能力を持った人々を惜しみ、農民とか漁民出身者に武科の試験を受けさせ、武官になれる制度を中央から認可してもらったり… 。

ある時は王様が漢陽(ソウル)には紙もなければ食べ物も武器もない等々と李舜臣将軍に手紙を送ります。 紙の原料の木が山に生える地方だったので、紙をつくり食糧を準備し整えた武器の中から武器をそろえて漢陽に送ってあげてもいます。

王様があくまでも李舜臣将軍に心を許さず、重罪人として扱おう (処刑しよう)としているのを知ると、
周囲の一部の人々は、船もある武器もある兵士も食糧もあるし、民心も必ずついてくるからといってクーデターをおこすことを勧めます。

『中心にだけ立ってくださればいいです。あとは私たちが処理します。』

李舜臣は両手で机をおさえ、ゆっくり立ち上がった。 彼は言葉なく武将たちの肩を押さえ、軍幕をひとまわりまわった。 肩を押さえられた者は頭を上げ立とうとした。

しかし李舜臣は、口に浅い笑みをうかべたままその目をみつめたままだった。 再び元の席にもどると心の深いところにおいてあった話を始めた。

「ありがとう。足りない身を心配してくれる者(志)は十分にわかった。 7年の間私たちはたくさんのものを失った。 家族を失い、部下を失い、官職、名誉、健康、希望も失った。

しかし、また私は生命より大切なものを得ることもできた。 ここにいる皆である。 私たちは、お互い名前もちがい性質もちがい、年も、顔かたちもちがうけれど、私は皆んなこそが私の兄弟であると思っている。 海がくれた兄弟である。

兄弟を心配するのは人間として当然の道理である。 私がこれから言うことを心に留めておきなさい。

あなたたちはこの戦いが終わると、また私が罷免されたり、下獄されることを心配している。 私に再度そんな不幸が訪れたとしても、私に挙兵するつもりはない。 どんなに国が乱れ大臣たちが空しく民を苦しめるといっても、私は国を救うという口実でもって天下を手にしたりはしない。 過去にも未来に於いてもそうだが、国の為だといって挙兵した将軍に、本当に国の為だった人はいない。 その人たちはただ王の座に欲がくらんだだけだ。

私に別の道はない。 決してお前たちが傷ついたり死んだりすることがあってはならない。 私の為に愚乱を忍ばせるようなことはしない。 私にはただあの倭賊をせん減させたい、それだけである。 軽挙妄動してはいけない。

私の為だといって軍則に反する行動をしてもいけない。 それは決して私の為にも、あなたたちのためにも、そして朝鮮水軍の為にもならない。 辺防を守って青春を送り、戦場で傷つき、あるいは死んでいくことを栄光とし、正しい武将として道を歩み、努力してきたではないか。

あなたたちも私と同様だと信じている。 最後の戦いが目の前にせまっている。 各自、自身の軍船を最強にしてくれ。 武将は戦闘で勝利してこそ、熱い丹心をみせることができるというものだ。 私は最後まで、この道からはずれないつもりだ。 さあ、それぞれの部所に帰りなさい。』(『不滅の李舜臣』本文より)

李舜臣将軍は豊臣秀吉が死に、戦争が終わり、最後に撤退してゆく日本軍をせん滅させる戦いを自分の探していた死地の戦いと選びます。

あれほど葛藤した(王が一方的に)王から『忠武』という諡号が与えられ、後世からは『忠武公』と親しまれ、彼の生まれた町は『忠武路』と呼ばれています。 100ウォン玉を見ればいつでも目にすることが出来ます。 本当に、国を守った『不減の』名将軍でした。

日露戦争の時、東郷平八郎をはじめ日本の海軍が李舜臣の霊に祈った話は有名です。 脇坂安治将軍の家門では、今に至るまで李舜臣将軍の命日を祭ってきているということです。

メシヤを誕生させる土壌が色々な形で準備されていたのだと思います。 韓国の偉人を理解しながら次元はちがっていますが、アボニムの理解もまた深まれたらと思います。

- 完 -

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Posted by on 2011年10月11日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

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