<不滅の李舜宦> -前編-


鈴木喜久子さんより心情文化勉強会にて掲載されたものなどのコラムを寄稿していただきましたので、掲載していきます。

<不滅の李舜臣> -前編- 鈴木喜久子

新年を迎えて縁起よく(?)お金の話を連載しようかなと思います。 2007年度の韓国の紙幣が少し変わりました。

人物の変化はなく色と大きさが変わり、今年は10万ウォン札と5万ウォン札が新しく加わる予定です。 とりあえず従来のお金の登場人物についてですが、まずは100ウォン玉にのっている李舜臣将軍から始めようと思います。

3年ほど前に、KBSで時代物のドラマとして大人気でした。 原作のまま『不滅の李舜臣』という題名で80回(韓国の時代物は長いですね。)続きました。 壬辰倭乱、日本では豊臣秀吉の朝鮮の役(文禄、慶長の役)で活躍し、国を救った将軍です。

韓国にとって忘れられない英雄であるのはもちろんですが、目本の敵将であったにもかかわらず、日本人をして名将軍としてひざまづかせたという人物です。 どこまで表現できるか不安ですが、私の理解している範囲でぼちぼちひもといてゆきたいと思います。

『舜臣』という名前は、彼の母親が夢で啓示で受けたともいわれているし、古代中国の五大聖君(五帝)の一人『舜』からとったとも伝えられています。

李舜臣将軍が武将になることを決意して科挙試験、武科を受けたのが28歳の時です。 貴族階級をあらわす両班は、文官・武官ですが、朝鮮時代の科挙試験は、文科・武科・雑科の三種がありました。 特に、文科と武科ですが『筆が刀を治めた時代』で象徴されるように、武官よりも文官の方が地位的にも高く、朝鮮時代のエリートコース、家門の栄誉と栄光は文科を受け及第することでした。

李舜臣将軍も家柄的には文官の家門系で、”家”としては彼が文科に進むことをそれとなく望んでいました。 武科に28才で臨んだというのは、武官としてけっこう遅れたスタート(出発)ですが、内的深い悩みと葛藤と放浪に10年以上の時間を費やしたためです。

結婚もしており息子もすでに二人いました。 彼の奥さんのお父さんは当代きっての弓の名手でしたから弓の手ほどきも受けていたでしょうけど、もともと武術にたけた人でした。

試験の日、4種目の実践種目のうち3つを無難に通過し、残るはやぶさめ(馬に乗って走りながら矢で的を射る武芸)です。 でだし(スタート)といい速度といい人並以上でとてもよく、見物する人たちの気持ちは高まるのですが、なんと馬が石につまずいてよろめき、彼は落馬してしまいます。

『気絶したのか?』『死んでしまったのか?』驚いている見物人たちの前で、彼はムクッと立ち上がり、骨折した足に近くの枝を折ってあて木にし、服を破ってその布でぎゅうとしばって固定させると再び馬に乗って走り、見事に矢を命中させるのでした。

しかし、落馬したら落第です。 周囲の人々は本当に残念がるのですが、きまりなので仕方ありません。 そして、そのことは彼白身よく知っていることでした。 ではなぜ骨折までしていながら最後まで矢を射止めたのでしょう?

多分彼のおそろしいほどの集中力と意志力、中途で物事をあやふやに終わらせることのできない徹底した性質がそうさせたのではないかと思います。

壬辰倭乱(文禄の役)での最初の戦いで、彼は鉄砲の弾を左肩に受けて、くるぶしの方まで血が流れているのに戦いが終わるまできづかないのです。 部下に言われて我にかえり、その場で刀で弾をえぐり抜いています。 (すごい意志力と体力の持ち主を想像したいところですが、将軍はいつも寝汗に悩まされ微熱を出し、時には倒れこんでしまうような繊細な身体の持ち主でした。)

李舜臣将軍の祖父にあたる方は、二代前を遡る王様(長今の誓いの時の王様:中宗)の時代、『儒学者をして理想国家づくりを!』を志した、儒学者であり政治家でもあった趙光祖先生と非常に近くしていた文官でした。 趙光祖(チョウクァンジョ)という人は改進派のリ一ダーであり、王様のブレーンとして活躍しますが、その激しさに王様が拒否感を感じ始めてくると、スキを狙っていた保守派勢力の人たちの『王の位置を横取りしようとする者』という罠にはめられ、結局『謀反罪』という重罪をきせられ処刑されてしまいます。(王から賜った毒薬を飲んで死ぬ。)

朝鮮時代の何大悲劇の中の一つに入るような事件ですが、その反動で李舜臣将軍の家門も大きくぐらつき没落状態におちてゆくわけです。

非理、権力の誤用・乱用、腐敗、横暴が王族を始め指導層にはびこったこの時代は、心ある人、考える人をして大いに悩ませ、考えさせた時代でした。

『王は王らしく、臣下は臣下らしく、武将は武将らしく、父は父らしく、子は子らしく… 』あることを追求してゆくのにモデルがありません。

李舜臣将軍も相当悩み彷徨します。 正義感が強いので正義を主張し、正義の為に生きたいのですが、国がそれを許さないし保護しないそういう現実の矛盾に悩み考え荒れた生活の日々が続きます。 いっそのこと使客として生きようかとも考えるのでずが、儒学の教養の厚い周囲の人々に指摘され、最終的に自分で悟って『国を守れる武将』になる決意をします。

28才で落第し、4年後(周期的にしか試験が行われない)の32才で武科を及第、武官としてのスタートです。

当時、朝鮮半島は北の端と南の端が外敵に露出されていました。 北は国境である豆満江を越えて侵入してくる女真族からの防備、南は海から侵入する倭(目本の海賊)からの防備です。 武官としてはこういう防備の役割、王の護衛部隊、治安を守る警備、訓練官として各部所に配置されます。

護衛兵とか警備、訓練官のような形で中央に所属することが仕事的にも名誉的にも人々がつきたがる部所ですが、李舜臣将軍は、武官としての20年のうち北方に5年、南端には戦争の期間まるまる7年を費やしています。 罷免させられて家に帰っていた期間等々を考えるとほとんど前線にいた将軍でした。

最前線、現場主義の彼は武人としてはめずらしく、北の前線期間中と南の前線期間中に『目記』を残しています。 特に南での期間は壬辰倭乱7年間のもので、後世『乱中日記』と名づけられ、国宝として大切に保管されています。

時々、私は戦争というものを考えながら人は人を殺すことに『マンネリ化』したり『習慣化』できるものなんだろうか、『狂気』というのはそういうものなんだろうかという疑間を持ってきました。

今もその疑間は解けていないのですが、ただ李舜臣将軍の生き方を観察してみたかぎり、彼に於いては『マンネリ化』も『習慣化』も感じられなく、加えては『創造的』な武将だったことに驚きを感じました。

彼は勇敢な武将でしたから、ほとんどの戦いで必ず先頭に立つのですが、それは勇敢さとか責任感だけでなく、自分が先頭に立つことによって波及される兵卒たちへの心理的効果も計算してでした。

この心理的効果というのもただの計算ではありません。複雑なのです。 23戦23勝、不滅の将軍ですが、朝鮮の水軍は初め本当に弱かったのです。 へっぴり腰で、脱営兵も多くどれほどたくさんの人たちが逃げたか知れません。

そういう中を訓練し、使えるようにしていきます。 将軍の為なら生命をかけられる部下たちも育ってゆきます… 。

しかし、彼は人間の心理をよく知っていて、戦いが一回終われば無に帰り、次の戦いはゼロからの出発で、死への恐怖の屈服もまたゼロから始まるということを知っているわけです。

自分が先頭に立たなければ士気があがらない_。 というか、親心だったのではないかと思います。 自分が先頭に立てば安心してついてこれるのを知っていたし、安心してついてこさせたかったのだと思います。

戦いの素人ぞろいです。 敵船が近づくと射程距離じゃないのに恐怖心からむやみに矢をうち放って、本当に矢が必要な時に矢を失い、自分たちの身を守れないことを知って、射程距離に入らないと矢を与えないようにしています。

日記の中には戦いで亡くなった水卒の名前がいちいち全部記録されているそうです。 戦死した人たちが心の中から消えないし、消したくなかったのだと思います。 敵であれ味方であれ死んだ人たちの死体をくわしく見て歩きます。

死体を見ながらグッと感情が入っていきます。 いくつぐらいなのか、白髪が多いが… 、苦しんでしんでいったのか、笑っているのか… 。 一人一人見て歩きながら考えるんですね。

この人たちは一体何を思って闘い、死んでいったのか_。 理由なき戦争、いわれなき戦い、考えたって答えがでてこないことがわかっていても考えざれを得ないわけです。 戦いが続くかぎりは実際たくさんの人を殺さなければなりません。 赤く染まる海面をみつめながらいつかこの血の代価を自分も払っていかなければいけないとも考えます。

国を守る為には死ぬわけにはいかないし、生きる為の熾烈な闘いをする反面、自分の死場を探しながら戦う人でした。 10人の日本人捕虜を山に送り造船用の伐採をさせますが、木の下敷きになって2人の捕虜が死んだという報告が入ると走って見に行きます。

相当な重量と勢いで死体はバラバラになるほどです。 残りの捕虜が泣きながら、日本(故郷)の見えるところに埋めてやってくれと訴えるとそのようにしてあげるよう指示しています。

2年ほど前、新聞記事に日本の中学生が南海に『朝鮮の役の時、先祖の墓をつくってくれてありがとう』と墓まいりに訪ねてきたという内容のものを目にした記憶があります。 この2人のことなのか、別のグループ(?)なのかわかりませんが、李舜臣将軍の時のことにまちがいありません。(脱営兵を絶対許さず、捕まえて首を切り、陣営の入り口にさらし首にするという厳しさももちろん持っていました。)

戦闘の為に亀甲船を発明してゆきます。 船の大好きな人がいて一任しますが、先頭が龍の頭(かしら)です。 その龍の口から大砲を撃ちます。 赤い火を吹く龍!! その姿に敵がどれほど驚き、味方の士気がどれほど高まるか。 そんな効果もねらって作っています。

前代未聞の船で陣をはる作戦をうちますが、『一字陣』『鶴翼陣』(鶴の翼のはばたきを象徴)と名づけます。 この名前が機能を表しているだけでなく、水軍にどれほど愛着と誇りを与えただろうかと思います。

・・・次号に続く・・・

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Posted by on 2011年10月4日. Filed under コラム. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response or trackback to this entry

5 Responses to <不滅の李舜宦> -前編-

  1. ttt

    内容はGood!
    ちょっとした誤字発見!
    長けた人、ってとこが、長けた入になってるです~。

  2. ttt

    誤記の指摘ばかり、
    すみませんが。
    日記が目記に。
    たけた入の後に、
    ですが、やす。
    落馬が毎馬、になってます。

  3. ttt

    指摘第三弾…

    今もその疑間は解けていないのですが、ただ李舜臣将軍の生き方を観察してみたかぎり、彼に於いては『マンネリ化』も『習慣化』事感じられなく、加えては『創造的』な武将だったことに驚きを感じました。

    彼は勇敢な武将でしたから、ほとんどの戦いで必ず先頭に立っのですが、それは勇敢さとか責任感だけでなく、白分が先頭に立つことによって波及される兵卒たちへの心理的効果も計算してでした。

    『習慣化』事?
    立ったの…

  4. ttt

    指摘第四弾

    理由なき戦争、いわれなき戦い、考えたって答えがでてこないこどがわかっていても考えざれを得ないわけです。

    こどが…事が

  5. 管理人

    誤字がたくさんありすいません、修正しておきました!

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